白髪太郎
 連休の頃、クリやペカンの葉に白髪太郎(クスサン)の幼虫が見られるようになる。やっと新葉が伸びきったと思う頃、黒い小さなブラシのような幼虫が群れをつくって、葉の縁を食べている。
 この頃はまぶしい初夏の太陽にすかして、この黒い影を探す。そして手が届かないところのものも、長い竿の先のはさみで、切り落とす。
 これが広がってしまうとなかなか駆除するのが難しい。孵化したての黒い装束を脱ぎ捨てて拡散してしまうので、見つからないのだ。そして気がついたら、真夏の栗の木などの下に大きな糞が落ちてきて、すっかり老熟した幼虫を見つけることになる。
 上のように老熟してくると、白髪太郎という貫禄が出てくる。白髪はともかく、太郎と呼ばれるには、それだけの貫禄が備わらないとだめだ。
 葉がブランと垂れ下がるほどの重量感があり、小さな小鳥なんかでは食べられないのではないかと思うほどの、威圧感がある。
 虫嫌いの女性は通ることができず、
 子供の頃、この絹糸線から魚釣りのテグスを採るということだったので、酢の中で引っ張ってみた。太い糸のようなものにはなるが、魚を吊り上げるほどの強度はなかった。宮沢賢治の物語の中に、クスサンの飼育の様子があったように思う。自然のクヌギなどの林で飼うのだ。
 十分成熟してくると、木から降りてきてあちこちで繭を作る。
 家の軒先や戸袋の中、もちろん木の枝やフェンスなど、あちこちにへばりついている。「スカシダワラ」と呼ばれるが、なかなか言い得ている。中の蛹がすかして見え、刺激を与えれば動くのも見える。
 軒先など何年も昔のものが残っていて、遠くから見ると、羽化してしまった古い繭なのか今年の新しいのかを、見分けるのが難しい。
 この繭を見るとこれを紡げばいかにも強そうなテグスが取れそうだ。化学繊維のなかった過去には、産業として成り立ったのだろう。
 少し寒くなって霧が現れるころ、不器用な大きな蛾が交尾している姿が見られる。とても蝶のように翻りながら飛ぶ姿など、想像できない。
 ぼたっと重く、羽は振るものの蚕蛾のように這い回る姿を見るほうが多いような気がする。
 下のメスは今卵を産みつけている。よほどメスは移動が苦手なのだろう。一方上のオスは、発達した触覚をアンテナにして、相当移動するらしい。
 もちろん見つければ踏み潰すが、食用樹のクリやペカンなどにこの卵塊があるので、探して掻き落す。葉が無くなって冬の剪定をするとき、徹底的に探し出して駆除する。
 それでも連休の頃、広がった新葉に群がる幼虫が出てくる。栗など農薬を使わないで樹勢を保つには、年中クスサンと戦っていることになる。
 2007年は、冬から春にかけての気候が変だった。そのせいかどうかは判らないが、シラガタロウが大発生した。
 毎年のように注意して卵も掻き落したし、連休の頃には孵化して葉に集団でいる幼虫を取り除いた。しかしその後ペカンも栗も全く葉が無くなるまで食いつくし、飢えて木から降りてあらゆる木に登って葉を食べた。栗もペカンも実は育たず、栗は雄花だけが残った。天敵に何らかの異常があったと思われる。
 飢え死にして蛹になれなかったものも多い。イチョウやサクランボの葉も食べ始めた。イチョウの葉を食べる虫はシラガタロウだけなのだそうだが、虫食いのイチョウの葉はあまり見た事がない。
 2009年は、クルミなどの木についた卵は、徹底的に掻き落した。イチョウにも着いている卵があったが、クリなどに比べると、そんなに注目しなかった。イチョウで最初から育つとは思わなかったこともある。
 ところが日が経つに連れて、イチョウがだんだん食い荒らされてゆくのだ。実が大分大きく膨らんできているのに、シラガタロウは盛んに葉っぱを食べるので、実が目立ってくる。こんなに葉を食われてしまうと、イチョウは木の生存のために実を落すのではないかと思った。栗などは生理落果で実がなくなってしまう。
 ところがイチョウはほとんど実を落さずに、大半の葉を食われながら、秋には立派な銀杏になった
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