里山の山野草に親しむ
 里山とは、衣食住を自給していた永い過程で、村の周りに形成された自然環境である。ほとんどの農家には牛か馬がいて、田の畦や里山の草はきれいに鎌で刈り取られていた。牛の役割は農耕の鋤を引き、堆肥を作るのが仕事だった。
 周辺の草などは資源であり、田畑にすべて還元された。家庭の煮炊きや暖房のための燃料は、周辺の山から集められた。余力があれば、炭を焼いて、余剰のものは販売した。葛や藤などは縄として利用し、茅や笹も、屋根を葺く材料であったり、茅からは炭俵も編んだ。
 このような結果、情緒的な里山の自然が保たれていた。その管理があって、山野草も山菜も私達を楽しませてくれた。今その環境が荒廃しただけでなく、耕作放棄の田畑が原野になろうとしている。昔の里山環境を少しでも再現しようという活動を、30人ほどの仲間と共に行っている。
 右上の写真は、スズランだが、わずかに残っていたものを里山環境を維持した結果、数百株まで復元できた。キンランやギンラン、シュンランなども保護されているし、ユウスゲなども群落に成長してきた。ワレモコウや左下のタムラソウなども、だんだん繁殖している。
 ササユリやヤマユリなども谷中が香るほど見事な花を咲かせるようになった。ただ全国と同じように、最近はイノシシが出現しだして、相当荒らしている。
 人々が里山に入らなくなった結果、自然は人を寄せ付けない篠竹などがはびこって、ますます荒廃し、山菜や山野草が絶滅しようとしている。私たちの仲間は、自然観察や保護活動を所有者の了解や理解の下に実行してきた。
 各地で始まった自然保護活動は、ゴルフ場や住宅地やごみ処分場などへの開発に対して、抵抗することだった。そのために沢山の人たちの努力が積み重ねられて、貴重な環境が守られてきた。
 一方自然愛好の仲間たちは、観察や探索など各地の山野を渉猟して、自然に身を置くことを楽しんだ。学生の頃、山岳部は高い山を目指して縦に登り、ワンダーホーゲル部は、横に広く歩くのだといっていた。
 それらの年代が高年齢になった今も、各地で集団で行動している。これらは自然環境の維持への、貴重な奉仕活動である。
私たちも自然に親しむと共に、里山がもたらす癒しや情緒も大切にして、さらに毎月一回は会食をするようにしている。私達なりの活動の形が整ってきた。
 山菜などのてんぷらをしたが、真竹のたけのこがこんなによく合うとは新発見だった。採ってすぐ食べるからおいしいのだろう。そのようなものは沢山ある。
 昔のように餅をつくことなど、各家庭ではほとんどなくなった。みんなで集まって作業をすると、それぞれがいろいろな思い出に浸りながら、楽しい語らいが生まれる。
 おはぎを作るのに黄粉を作ったのだが、石臼で大豆をひくとこんなに芳しく香るものだということを、改めて認識した。右の三枚の写真は、そのような会食のための作業の状況である。上は真夏の井戸水でそうめん流しを行っている様子だ。
 まだまだいろいろな体験が増えてゆくことだろう。かつては生活の営みの結果として、里山が形成されてきたが、今は相当な努力をして里山環境を維持してゆかざるを得ない。しかも可能なところはほんのわずかでしかないのだ。
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