日韓百姓交流の会
 インターネットで交流会の案内が流れていた。畑仕事に向かないぐずついた天候でもあり、参加してみることにした。各地に盛り上がった「百姓出会いの会」の、比較的活発に続いている九州地区が主催だ。
 あちこちで散発的に開かれているが、自主的な仲間が主体なので、継続的な連携が出来ていない。事務局や役割分担も明確でないので、どこかでパッと火がついたように開かれる。
 今回は対馬ということもあって、こんな機会にしかチャンスがないし、韓国からも参加者があるとのことだし、何人かは知っている顔にも出会うだろうと思って出かけた。
 せっかくなので、3泊くらいして周辺も見て廻りたいと思って、日程を組んで切符や宿も予約した。前日の1月16日に雨の中を博多港までたどり着いて、高速船の乗り場まで行ったのに人影が少ない。船は欠航だという。われわれの感覚では予約してあれば何とか対応してくれるのだと思うのだが、船長の判断で1時間前に決まるのだそうだ。
 いくら言っても埒が明かないので、博多に引き返して泊まった。離島の不便さを感じた。
 翌日は、幸い何とか出るという。壱岐までいってその先が欠航になるとかで、飛行機にするか引き返すか、迷うところだ。
 なるほど壱岐を出ると波が荒い。玄界灘らしくなってきた。ついてから分ったのだが、韓国からの船も欠航になって、12名の皆さんは急遽博多に飛行機で飛んでから半日遅れで来てくれた。
 韓国からは45キロと博多より近く、古くから交流があるということだ。歓迎の市長の挨拶も、ちゃんと相手に伝わる韓国語で述べられて、関係の深さを知った。また韓国語がしゃべれる人も多く、そんな方を通訳に頼んであったらしいが、あいにく都合が悪くなったのだそうだ。
 韓国からは、プルム学園の洪先生が中心で通訳をしてくださった。愛農会とも交流が深く、この一週間くらい後にも来日されるということだった。
 日本の農村では、村という共同体の集団が崩壊して、かつての村づくりの主体が見当たらないが、韓国では村全体の事業として有機農業などが営まれているということだった。
 だからにぎやかな打楽器の郷土芸能の披露もあって、楽しい交流もできた。また対馬の農業事情も見学できたので、いわゆる観光旅行とは違う楽しさがある。
 対馬馬も二頭飼われていたが、本当に小さくて子牛くらいだ。これに荷物を背負わせて運ぶのだという。対馬の山を見ると、小石混じりの土壌は痩せており、ここに生きてきた農民の苦労が偲ばれる。馬もそんな風土の象徴のように思われた。
 左は韓国が遠望できる山上の案内板。左下は、和多都美神社で、海から陸に鳥居が連なり、竜宮などの海のかなたの国とつながっている感じがする。 
 最近イノシシが増えて大変だそうだが、海と痩せた山野では、勢い畑の作物を荒らすことになるのだろう。島を出てたくさんの人が博多などに住んでいるということだが、このような離島の過疎化は、また別な困難が感じられた。
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