北アルプスの追憶と回想
 右手に尖っている山が槍ヶ岳である。この写真は初めてで経験も無く、北アルプスの縦走をした時のものだ。
 この一年前のファイルの、「44年間の追憶と回想」の続きのようなものなので、一緒に読んでいただけばありがたい。
 この6月2-3日に、乗鞍スカイラインと新穂高のツアーに参加した。もっと早い時期に申し込んだのだが、5月の平日のツアーは参加希望者不足で、梅雨の不安な6月になってしまった。
 ところが地元の人も驚く快晴で、2日とも見事な眺望を楽しむことができた。昨年は黒部アルペンルートだったが、今年は南からアルプスを眺めることになった。あの黒部アルペンルートは、黒部ダムの建設のために信濃大町からトンネルを掘って、黒部渓谷にダムを築いていった設備を利用している。
 この縦走のときはトンネルには建設関係者以外は入れないが、その入り口の扇沢までのバスは便乗できたので、そこから針の木岳に雪渓を伝って登った。
 ダムの完成も間じかだった。そして白馬から縦走してきた本隊と合流して、多くの峰を伝って槍から穂高に縦走して上高地に出た。
 この写真の奥に槍ヶ岳の遠望が写っている。服装は靴とリュックを買っただけで、参加していた姿である。
 そして今回は普通の服装で、新穂高のロープウェイや乗鞍のスカイラインから、槍や穂高などの山々を満喫するまで眺めることができた。
 私は高卒の頃人嫌いで、昆虫と山をセットにして、自然にあこがれていたように思う。しかし槍ヶ岳まではほとんど登山者に出会わなかったが、槍から穂高などは人であふれていた。
 槍の頂上は登るのに順番待ちで、上は百貨店の屋上のように混雑していた。上高地で最後のテントを張るのだが、当時でさえ山の静けさは無かった。
 逆に今回は特別気負いもなく、折があれば行って見たいと思っていた、乗鞍や新穂高に、列を成してやってきたわけだ。
 それにしてもすばらしい天候で、ほとんど2日間雲やガスも無く、澄み渡り晴れ上がった。
 白山が全貌を現して見えている。これまで石川や福井からでも、こんなにきれいに見たことが無かったと思う。
 6月の旅行は梅雨の雨の中を、ただ駆け抜けるだけのときもあった。秋だって蔵王などでバスに揺られて登ったが、何もガスの中で見えず、道路の先10メートルくらいを眺め続けるようなときもあった。
 実は今回もそんな旅行だったら悔しいだろうと予想もし、覚悟もしていったのだ。ところがこの見事な眺めは、新緑の道中とともに自然を満喫できた。
 それに今回東海北陸自動車道の岐阜県側を、全線走ったことになる。岐阜や長野は愛農会が盛んでよく回った場所だ。しかしその距離感は全く変わってしまった。
 当時は夏は3泊4日くらいのキャンプ、冬はスキーなどの合宿をしながら、相互の意見交換や学習や交流をした。
 それだけ農作業に余裕があり、村に青年が残っていて、技術や情報交換も役に立った。郡上や蛭ヶ野、高山や上宝など、そこに集合するのに県内各地から半日以上かかった。
 この焼岳のふもとでキャンプして最後の日に登ったのだが、噴火活動が激しくなって、前日に登山禁止になっていることを知らなかった。
 今回は下呂や中津川も含めて、多くの岐阜県の懐かしい場所を、簡単に駆け抜けてきたことになる。かつて郡上から高山に抜けることができただけでも驚きだったのに、今は県内を一日で巡回できるだろう。
























































































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