災害救助の不満と投書の反応
 今年は災害が多く、10月には台風23号の被害のすぐ後に、新潟県の中越地方地震が起きた。特に台風の被害は、私の育った兵庫県と京都府の県境の村をはさんで、円山川と由良川で同じような堤防の決壊があった。
 その時、バスの屋根に逃れた37人もの人を、へそまで濁流に浸かっているのに、翌日になってから救助に行ったという報道があった。新潟でも、ひとつの自治体が道路は寸断され電話も防災無線も通じないまま放置し、翌日になってから救助に向かった。何人かに救助体制について不満を述べても、あまり真剣に皆が共鳴しない。憤懣やるかたないので朝日新聞の声の欄にはじめて投書をした。タイミングよくトップに載った。

 主旨としては、過疎地の災害は、救助の対応が不備になりやすい。台風23号の水害の場所は行政の中心の神戸市や京都市からも遠く、マスコミの目もとどきにくい。過疎化した広い範囲を、行政はフォローできていないのではないか。現に豊岡市も舞鶴市も、この地方の中心的な都市である。れっきとした国道の上でバスの乗客が孤立して一晩放置されるのでは、もっと過疎化している山間部で、老人など社会的弱者は、心細い。過疎地の災害救助の体制を見直して、せめて救命胴衣や暖かい食料などを届けるべきではないか。

 事実この後から出石町でも酸素ボンベが届かずなくなった人がいたり、浸水した家屋の二階で3日も救助されなかったり、土砂に埋まった車の中から4日目に幼児が救助されたりという報道が、延々として時には美談として続いた。私の投書も、賛同者や支持の声が上がるのかと思っていた。
 ところがこのような反応は、ほとんどなかったのである。その後ぼちぼち報道がされ、災害地の知人などからも情報がもたらされ、ひどい孤立状態で、復旧も大変なようだ。しかしマスコミの目は、余震の続く新潟に行ってしまった。各社が競って行政や避難所に押しかけ、被災者の不便も省みずに報道取材をするので、不満も多いとのことだ。

 今回の災害に限らず、過疎地はますます弱者が取り残され、マスコミも行政も目が届かず、都市のように救助も手が届きにくく、支援も後回しになってしまう。私は今後情報の届きにくい地区に対する災害救助の、見直しと体制の強化を訴えたかった。私の育った但東町は府県境にあり、相当災害があったにもかかわらず、こちらでは死者や被害の状況は、ほとんど報道されなかった。それは救援活動の手薄さにもつながってゆく。さらに来春、これらの地区が豊岡市に合併してしまう。
 但東町も私が高校を出た後、3つの村が合併して、やっとひとつの町のまとまりが出来てこようとしているくらいだ。それがさらに兵庫県北部、但馬地方の半分ほどの巨大な面積の過疎地の行政単位になったら、十分目が届くのだろうか。
 もともと兵庫県は、日本海側と淡路を含む瀬戸内海まで、過疎化と過密化の進行している相反する地域を、一体として捉えざるを得ない自治体である。鳥取や島根、福井など日本海側のみの自治体なら、その過疎化や問題点も強調されやすい。京都も丹波・丹後という昔から都の後背地を含んでいる行政体だ。

 このような場合、過疎地は余計住民の声が反映されにくく、行政の目も届きにくい。自分の育った土地だけに愛着があって関心も有るのだが、私が見ていても歯がゆくなるほど、主体的な発言も、自主的な地域活動も生まれにくい素地をもっている。このような環境は、生活を維持する社会的基盤さえなおざりになり、本当に忘れ去られてしまうような過疎地になってしまわないか。

 もう一方土地環境においても、山田は杉などを植えてその後の手入れも行き届かす、耕地は基盤整備で乾田化し,ほとんどの水路はパイプか三面コンクリート張りの流速の早い河川改修をやった。植林し手入れの行き届かない木は、風でゆすられると土地表面に浅い根で亀裂を作る。そこに雨水がしみこむと土砂崩れが起きやすい。また鹿などが笹を食べたり、表土を踏み荒らして裸地になっている。川の流速は早く、海への流入が遮られると必然的にその手前で堤防を越す水害となる。
 今回の円山川も由良川も、同じような現象による水害ではなかったのか。投書の限られた紙面では、言いあらわせなかった想いが、一杯あるのだ。

 投書の内容に対して余りにも反応がないということは、今の社会が弱者への関心が薄いのか、関係のないところの災害に連帯感をもてないのか、私は余計に心配になってきた。広い視野で社会を見ることや、連帯の欠如が、嘆かわしいのである。
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