カラスウリ
 カラスウリという植物があるということは、ずいぶん昔から知っていた。秋の終わり、冬枯れてきたころ、里山や手入れの行届かない庭などに、特徴のある実が目に付くようになる。
 人目を引くその姿が、イラストに描かれたり詩に詠われたりしてきた。梢に取り残された柿のように、初冬の風物詩でもある。
 しかし関西ではほとんど見ることはなかった。東京周辺ではちょいちょい目に付くのに、こちらではほとんど気がつかなかった。関東平野のような広がりのある平地林に適していて、関西のような斜面の里山には向かないのだろうか。
 ところがもう3年以上前に、わが自耕園のウマベガシの縁にこの実が垂れ下がっているのを発見した。小鳥によってもたらされたのだと思うが、それにしてもよく家にやって来てくれたものである。
 カラスウリに限らず、小鳥は本当にいろんなものを運んで来て、根付かせている。自分の食料にするために、意識的に運んでくるような気がするが、植物の側の繁殖の仕組みと、小鳥の食物がうまく組み合わさっているのだ。南天や万年青などのほか、リュウノヒゲの青い実も食べればアスパラガスなども持ってくる。
 棕櫚やヤツデも持ってきて、ヤツデなどは勝手に栗の木の下を占領してしまった。
 
 カラスウリの説明では、その花が夜開いて、繊細なレース状であり、優雅な香りがするということである。
 もちろん実物を見てみたいと思うのだが、やぶ蚊の跋扈する夏の夕暮れに、探してまで見に行く気もしない。花の咲く時間帯には、風呂で汗を流してビールを楽しんでいる頃である。同じ屋敷内にはあるとはいえ、電池を点して観察に行くまでもない。
 そこでカラスウリの実を取ってきて、居間のすぐ目の前にある、ペカンの木にぶら下げておいた。冬にはかわるがわるヒヨドリがついばみに来た。この種も独特な形をしていて、その形が紹介されている。
 そして念願かなって夏の盛りの夜、居間のすぐ前でカラスウリの花が毎晩咲くようになった。夕方握りこぶしのようにそっと膨らんできた蕾が、とっぷり日が暮れた頃優雅にレースを広げてゆく。こんなに繊細なので、殻をぬいだトンボのように、すこしづつ広がってゆく。
 優しい香りはするが、取り分けて特徴がある匂いでもない。特に強烈な感じはなく、むしろおとなしい感じだ。
 交配はこんな夜だから蛾が花粉を運ぶのだろうが、見ている間には訪れる様子はなかった。闇の中で幾つものレースの花が連なっているのは、なかなか見ていて楽しい。そしてあくる朝はまた握りこぶしのように縮んでしまって、落ちてしまう。
 冬のカラスウリの実はよく目に付いて鳥を招くが、花は木陰にそっと夜に開いて、朝には散ってしまう。なんとなく詩情のある植物である。
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