三月一日に神戸大学農学部の、保田教授の最終講義と懇親会があった。正月早々案内をもらって即申し込みをしていたので、雨の中を出かけていった。最終講義では、会場で赤目エコリゾートの理事仲間である林さんが声をかけてくださって、聞くと彼は理学部の出身だとのこと、保田さんのことを高く評価しておられた。 |
これがなかったら私は退学になっていたのだろう。前に押し出したのも保田さんで、かばってくれたのも彼だった。その後すっかり社会活動に関心が向いて、みんなが大学を出て農民を搾取する農薬や機械などの企業に就職するが、俺は農民の側に立つといきまいて、愛農会に入り農村活動をした。しかしそれもいい仲間が組織化できたころに内部批判と農村の変化の中で、私は挫折してしまう。
そんな失意の中で当時県庁などにいた同級生たちと会って飲んだ。学生のころは宝塚の宮崎君などの家にみんなで繰り込んでマージャンで徹夜し、翌日試験を受けたりした。みんな県庁でえらくなったが、学生時代はだいぶいい加減だった。のんびりして長くかかる福知山線で通う仲間は、車内では広告の額縁をはずしてその上にオーバーをかけてトランプや花札をしていた。その続きで家にも帰らず講義を聴きに行くのだから、寝に行くようなものだ。
こんなときの仲間が失業している私を心配してくれた。30を過ぎて職のない私のために「とにかく肩書きを作れ。保田さんに頼んで研究生にしてもらえ」ということになり、お世話になった。だから私は年上でも彼が指導した研究生として、出席の資格があって、案内状が来た訳らしい。
それにしても懐かしい思い出だが、40年という歳月は、人の運命をたどる永い時の経過を含む。保田さんの話にも出たが、当時新天地を目指してブラジルに渡った仲間や、理想の国を作るために北朝鮮に行った人たちに思いをはせ、中には亡くなった者もいる。
確かに保田教授は、日本の有機農業の中心で現役の活動者である。これから兵庫農漁村社会研究所でのご活躍を期待したい。ここにかけられた3つの夢をぜひ実現していただきたいものである。