愛農運動は死んだのか


 昨年一年間は、私は愛農運動に引きずりまわされたような年だった。話をするのも馬鹿馬鹿しいのだが、年賀状の中にはいろいろな形で伝わっていっているようで、どうなっているのかを問う声も多い。その馬鹿馬鹿しい過程を一くさり報告することにしよう。

愛農会本部
 建設当時と同じ建物をまだ使っている。私は職員としてこの建物が出来た時に、二階で東京オリンピックを見ながら機関紙を発送していたことを思い出す。その当時と同じまま、スチールのサッシ等に錆が目だつようになった。
 平屋の右端に近藤会長が自分の金で部屋を作り、出来るだけ宿泊して会の活動に関与することになった。宿直していた夜など、よく会長が幅の広い体でこの廊下を歩足早に歩いたり、戦前戦後の農村指導の経験を語ってくれたことが、昨日のように思い浮かべられる。
 私は農学部の卒業式も出ずに愛農会に来てしまったが、それほど忙しかった。当時が愛農会の絶頂期であったと思うのだ。日比谷公会堂での全国集会に時の池田首相を呼び、農政関係議員を壇上に並べて各県代表が要望を出した。各県からバスを連ねて会場があふれるほどの会員が参集した。
  当時の職員も、私が退職した後に順次去ってゆき当時の会長や両副会長も亡くなり、主だった理事も入れ替わっていった。愛農会に全国の農民が寄せた期待と支援は失われていった。
  私は40年前と同じような農民の結集を夢見たのだが、この一年を通してもはや運動は変質しており、残影を追い求めたに過ぎないことを知らされた。
 
愛農高校
 私が職員になった頃は、この高校を建設するかどうかという議論の時だった。この校舎のあたりは小高い丘で、最初はそこにあった手作りのブロックの小屋で生活した。その丘を押して運動場とし、この校舎を建てた。
 右手の建物は全国の農民が集まって、ブロックを作り、積み上げた。講堂を含む農場などすべてを学校法人に寄付した形で、相当無理をして建設した。1960年代の高度経済成長の中で、農村も変質して行ったし、愛農運動も当然変わらざるを得なかった。
 私としては時を経て、かつての農業者の結集を果たせたような、新しい運動の存在意義があると思ったのだ。私は当時と同じような運動に対する情熱と展望を持っているつもりだが、もはや愛農運動は当時の幻影に過ぎないこともわかった。この1年間はむなしさを感じ、実りのなさに失望している。
 時の経過は、インカ帝国やアンコールワットのような民衆のエネルギーを動員した巨大な遺跡として、形骸を残してゆくものなのだろう。
 
 一昨年末に、私を愛農会理事に推薦するという話があり、いろいろ思い巡らせているうちに、理事として選任されたことを知った。選任の場に私はいなかったので、年末に私の率直な気持ちをまとめて提出した。その後の1月の役員研修会にも意見を出した。
 これらに対してほぼ全員が容認し、むしろ支持し期待を表明された。逡巡していた私は2月の大会を経てから、もう一度かつての愛農に集った仲間の再結集を図るべく、動き始めたのである。
 これらに始まるこの一年の経過は、十分一冊の本になるだけのボリュームがある。 かつて30年前の資料までも、その経過も、私は何も発言しないままにほじくり返され、会員や理事からはなんら非難するべき問題もないにもかかわらず、理事会・総会を重ねて、全理事が総辞職することで幕を引いた。丁寧にも、私の解任決議はしないという、議決をした上でのことである。
 関心のある方は、愛農会事務局にこれらの過程の議事録や討議された資料を請求して読んで見てほしい。もちろんこの間私は成り行きを眺めているだけであったし、なぜこんな不毛な論議が進展するのか唖然としていた。正義も真実も、まして許しもその上での結集もなかった。
 もちろん私に非はないとされ、そのために如何に多くの人々が異常な発言を繰り返す小谷先生に、理を尽くして語りかけたことか。だがそのすべては空しく、無力感が残っただけである。
 一方、私を支持するといっていた会長が、その発言を翻してそれを詫びながら、まだ副会長に就任している。この過程で指揮統率力のなさを露呈したばかりか、この混乱の中心的責任者であるにもかかわらず、運動に対する何の展望ももたらさなかった。
 さらにこの過程で創始者が私に浴びせた「理性を持たない人間」であると言うような誹謗とか、「第一回目の愛農会の分裂をさせた張本人である福井正樹君が、あの当時の思想・信念を少しも悔い改めることなく」など捏造と褶曲に満ちた発言を、愛農会は認めるのだろうか。
 また「福井君も**君も共通している点はスバラシク頭がよいことズバヌケて自信家で人を説得するカリスマ性を持っていることです。00君はこの二人に利用されているだけですが、百姓としてはモノスゴイ商才にたけています」などの異常で醜悪な文章が配布されたことに対して、会として当然なことと思っているのであろうか。
 これらの過程を通して、愛と共同を説き、自主独立の農民運動として、物心両面から人つくり村づくりを目指した愛農運動は死んだといわざるを得ない。新しく理事に就任された方々に、公開質問状を出してあるが、理事および理事会はまだなんら回答をしてきていない。公的な社団法人として、運動の醜い変質を改めて提起するべきだろう。
表紙に戻る 自然のまま耕すに戻る 自分の力で耕すに戻る 自分自身を耕すに戻る 自給自足の楽しい調理に戻る

もどる