ハーゼルナッツの物語
 もうずいぶん前に、ある民芸博物館の見学に行った時のことである。見るからに頑固で気の強そうな爺さんが、床の間に置いてあるかごを指して「これは大変珍しい、ハーゼルナッツの枝で出来ています。〇〇の宮様が、すばらしい芸術品ですねと、お褒めいただいたものです」と勿体をつけて説明を始めた。あの赤頭巾ちゃんやイチゴを摘みに行ったお嬢さんなど、北欧の少女が腕を通して脇に抱え、ハンカチなどで覆いをしている、丸い取っ手の付いたかごだ。
 私は心の中で、「馬鹿にするなよ。家の畑でなんほでもあるさ、あっちにゃ柳や竹のようなかごを編む良い材料がないからじゃあないか」と横を向いて馬鹿にしてたら、態度が悪いと叱られた。
 左の写真のように、まっすぐなシュートが沢山出て、これを掻き取らないとブッシュになって、主幹が育たない。掻き取ったシュートはしなやかなので、かごを編む材料に使われているのだろう。
 自耕園に来たのは、もう40年くらい前である。大阪の方が、当時日本は外貨が不足している時代だったから、大量に輸入しているアーモンドの代用に、この実を利用しようとして勧めておられた。
 カミキリムシの被害にあいやすいが、割りに育ちやすく結構大木になる。
 早春に雄花は花穂を伸ばして、花粉を放出する。和名を西洋ハシバミというように、日本の里山に多く見られる、ハシバミによく似ている。この花穂は、11月ごろ葉が落ちたときに、すでに青く硬いのが形成されており、冬を越して春たけなわになると伸びて、紐のようにぶら下がる。
 栗でもペカンでも、オスの花穂はどことなく似ているが、葉のないときににぎやかに成熟してくるので、目に付きやすい。ハーゼルナッツは普段は目立たない方なので、この季節が一番存在感があると思う。
 雄の花穂が伸びた頃、まだ広がらない葉芽の先に、赤いマンサクの花びらのような雌しべが出ている。風媒花なのでとても地味だが、枝に転々と薄く赤みを帯びて付いているので、珍しい気がする。
 この頃は春の花々が咲き初めて人目をひきつけているので、こんなにひっそりと咲く花にあまり目を留めることはない。虫や鳥に花粉を運んでもらう必要のない花は、地味なのである。イソギンチャクのように、赤い紐のような雌しべが芽の先端に出ている。
 実はこの苗木を斡旋していたころ、私も何本か植えた。枯れたものもあるが、シュートのうち根元から伸びているものを掻きとって、根の着いているものを植えると、簡単に株分けできる。枯れたものもあれば逆に新しく植えたものもあるという、状態の時期が続いた。そしてふと気がついたら、大木になっても、どうも実が育たないのだ。。
 春は雌しべも出ているので、今年はなるだろうと思いつつ、つい秋になると見過ごしてしまう。当時仕事も忙しかったので、こんなことを何年か繰り返しているうちに、実のつかない木ばかりを増やしているらしいことが分かった。そして10メートルくらいに繁茂している、ほとんどの木を引き抜き、燃やしてしまった。
 だからこの実は、30年ぶりくらいに更新し再び実を着け始めたものである。何本かの苗を植えて育てた頃、よく伸びた木からは相当実が取れていた。しかし当時も実のならない木もあったのであろう。
 そしてよくなっていた木がカミキリムシにやられて枯れたりしても、新しく株分けしたものを増やしていたので、常にハーゼルナッツの木はあちこちに育っていた。
 そしてまだ生育が十分でないからだろうとか、今年は天候のせいで受粉しなかったのだろとうかと見逃しているうちに、実がならない木ばかりを育てていた。そしてふたび久門さんから苗木を分けてもらって、やっとなり始めたのがこの実である。
 実のなる木はカミキリムシにも弱かったのかもしれない。ならないものの方がよくシュートが伸びたのかもしれない。懲りたので久門さんにも念を押して、実のなったものの株を分けてもらった。
 受粉した雌しべは左のような形に成長して、中に1個づつ実を抱えている。どんぐりと同じようにお尻の部分がざらざらしている。対照のために入れてある栗の実は、銀寄である。前の実のほうがもっと大きかったように思うが、日本のハシバミとも交雑するのであろうか。
 味は栗の実の若い頃のような感じで、アーモンドほどではないが、炒ることによって似たような香ばしい感じになる。葉が落ちるよりずっと先に落ちてしまうし、莢は木に残っているので、拾う時を逸すると落ち葉に隠れてしまう。
 実を付け始めると、量としてはウマベガシのどんぐりのように、相当収穫できる。ペカンを40年以上育てて実がならないと言う人もいるが、何時まで待っても実のならない木を育てて来ると、、何だか人生の一部を無駄にしてしまったような気がする。
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