ウド



 ウドが育ってきた。この畑を買った40年近く前から、この土地にあった株を育ててきた。ずい分たくさんの人がほめて、喜んで食べてくれた。ほのかな独特の香りがあって、甘くて、とても柔らかくて、それでいて歯切れがいいのだ。
 母が存命のころは、最もたくさん取れるころにリュックに入れて大阪の知り合いの方を回って分けてくるのが、年中行事だった。あまり恩着せがましく言わないようにいうのだが、みんなのほめ言葉でつい自慢してしまうらしい。教会にも持って行ったし、だれかれとなく食べてもらった。
 ウドの生産量は東京都が一番だということだ。あの柔らかな関東ロームの土地に横穴の室を掘り、栽培した株を掘り取って埋め込む。光がさえぎられ温かいので、早く白い芽が伸びてくる。いわゆるもやしウドである。土地から離されるので、どうしても筋張ってくる。
 私のところのウドは、そのままの株に籾殻などをかけて軟ぱくする。生きた株から一度だけ最初の芽をとらせてもらうという感じだ。このような育て方を私のうちはずっとやってきていた。戦後食べ物も金もないとき、叔父はこのウドを掘りあげて街の旅館などに売り歩いて、遊ぶ金をつかんでいた。農家は米や小豆など何でも金になった時代だった。その叔父も私の年より若くしてなくなってしまった。
 このウドを食べるだけで、限りなくいろいろのことが思い出され、だれかれの顔も浮かんでくる。日本料理店を経営していた方は、うちのウドは誰にもやらないで、一度に一本生で、食べてしまうのだそうだ。それにしても私の育った村でもウドを栽培出荷するようになったそうだが、やはりもやしウドの作り方だという。日本古来から採集してきたであろう、野生の山菜としてのウドでもなく、商品生産のための栽培でもないウドは、本当においしいのだ。

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