(21世紀のエネルギーはどうなる?(1)からのつづき)


21世紀のエネルギーはどうなる?(2)


2 エネルギー革命(未来エネルギーの時代)は、目の前に来ている!

● 「太陽文明回帰は夢物語ではない」
  • みなさんこの御坊のあたりではいかがなのでしょう。屋根に太陽パネルを載せた家が、よく目につくようにはなっていませんか。あるいはどこかの山の上とかに、大きな風車が回っている光景を目にされたことはありませんか。1990年代は太陽パネルと、風車がブームの時代だったといわれているのです。そして昨年からはじまった2000ゼロ年代は、バイオマスの利用がブレイクするともいわれています。あるいはバイオマスとは聞き慣れないことばかもしれません。くだいていえば、「生物由来のエネルギー資源」のことです。分かりやすい例としては、古代から燃料に使われてきた薪を考えてください。また畜産にともなって生じる鶏糞、畜糞のたぐいもこの仲間です。
  • 上の3つ、風車、太陽パネル、バイオマスに加えて、もう一つ落とすことのできないのは燃料電池です。これらの技術革新によって、これからのエネルギー事情は、まちがいなく、がらりと様子の異なるものに移行していきます。それでは、このエネルギー革命を担う4つの要素技術を、順に概観しておくことにいたしましょう。まだほかにも注目しなければならない技術はありますが、当面はこの4つが中心になるものと考えられます。
  • お話の前に、結論的なことをさきに言っておきます。「太陽文明への回帰」は、いまはもう理論の段階でも、技術の段階でも、場合によっては経済の問題でさえもありません。ただ政策の問題であるにすぎないということです。いいかえれば、社会と政治が、やる気になるかならないかだけの問題なのです。
● 風力発電 
 
  • 風車といいますと、少し前までは、私たちはオランダの農村ののどかな映像を思い浮かべたものであります。オランダという国は、ネーデル・ランドとも別名で呼ばれておりますように、干拓地の多い、国土の海抜が低い国であります。ネーデル・ランドとは、低地という意味です。数百年にわたって、この低地から排水するためのエネルギー供給源として、風車が使われておりました。
  • 90年代にブーム的急伸長を遂げた現代の風車は、オランダのかつての風車のイメージとはかけ離れた、先進テクノロジーを駆使した発電風車であります。ちょっと数字をあげてみましょう。世界全体でこの風力発電装置は1990年には200万kWでした。かりに原発1基を100万kWとして、これを物差しにいたしますと、2基分です。それが昨年、2000年の半ばには1500万kWに達しました。原発15基分です。その間年成長率は、なんと24%だったということになります。2020年には、1.2億kW=原発120基分にはなろうと予測されています。
  • 風力利用と、太陽光利用が急伸長したとはいえ、絶対量ではまだまだだといわなければなりません。いま世界には原発が430基動いています。これを100万kW相当に換算すると、350基ほどになります。それに対して、いま風車は15基分だというわけです。太陽パネルにいたっては、まだ1/3基分くらいです。世界全体での話です。
  • 風力について、日本は世界の趨勢に立ち後れました。やっとブームが始まったのは2〜3年前からであります。総出力、現在10万kWを少し超えたところ、原発1/10基分ほどにすぎません。私はこの立ち後れは、政府の「原発しがみつき政策」にあると断言してもよかろうと考えております。それでも実は1991年との比をとってみますと、はじめが小さかったものですから、100倍ほどにもなっているんですよ。日本でもブーム状態だということにはまちがいありません。
  • この風力発電機、現在では小さめの世界標準的なのが、1基で1000kWです。ぼつぼつ2000kWの風車も珍しくなくなってきました。スウェーデンでは、この秋から3500kWのが動き出す予定だそうです。こうなると地上から、ブレードの先端までが、120〜130mほどの高さになる巨大なものです。たぶん5000kWくらいまでは大きくなるだろうと見られています。
  • このような風車を、風のつよい地域に数十本から数百本ならべて、大型発電所に匹敵するくらいの発電基地に仕立てたものをウィンド・ファームと呼んでいます。日本にも、ある程度本格的といってもよいウィンド・ファームができはじめました。先端を行くのは、北海道の苫前町です。昨年(2000年)の9月に見に行ってきましたが、風車42本、総出力5万3000kWの発電基地ができています。
  • 近いところではめぼしいのが、青山高原にあるのですが見られた方があるでしょうか。これをつくった自治体は三重県の久居市です。現在は4本の風車が尾根にならんでいます。市長さんがたいへん熱心で、これを20本に増やす工事がすでに進行中、ゆくゆくは100本に増やすという意気込みだそうです。ほかに風力発電に熱心な自治体には、パイオニア的存在の山形県立川町、岩手県葛巻町などがあります。これらの自治体は毎年集まって、「全国風サミット」というのをやり、今年はすでにそれが第8回になります。
● 太陽光発電
  • 太陽光パネルの生産は、現在、日本が世界に先んじています。シャープだとか、京セラだとかの名前が新聞の記事でも目につきますが、1997年にアメリカを追い抜きました。そして住宅メーカーがこれを装備し、積水とか、ミサワとか、ダイワとか、ナショナル等々でありますが、いまや太陽光発電住宅がブーム状態になろうとしています。
  • 私はかねてから、屋根瓦を全部「太陽瓦」にしろと唱えていたのですが、とうとう太陽パネルそのものでできた屋根材ができ、それを屋根全面に葺いた、エネルギー完全自給住宅が売られはじめたようであります。ゼロ・エネルギー住宅などといって宣伝されているのを新聞広告などに見かけられたことがありませんか。ふつうの住宅より2割くらい高いだけのようで、政策的な支援があれば、普及は目前といえるでしょう。
  • 民家等の屋根に載っかっている太陽パネルは、世界全体で、1993年には総出力で2万kWだったのが、99年には21万kWと、10倍以上になりました。それにつれて発電単価は下がり、同じ期間に1/4ほどになっています。
  • それでもなお、そんなブームの足を引っ張っているのはパネルの設置コストです。風力などはすでに1000kW機よりも大きくなると、発電コストは新鋭の火力発電を下回っているとされておりますけれども、太陽光パネルの場合には本格的にブレイクするには、まだ現在の価格が半分に下がる必要があるといわれています。
  • さてここまで、日本の太陽光利用が順調に伸びてきたのは、旧通産省、現在の経済産業省の補助制度が一定の役割を果たしてきたことはたしかであります。設置コストの30%から20%を補助してきたのでありますが、これを2002年度、つまり来年度かぎりで、03年度以降はやめるのだそうであります。たしかにいつまでも補助によって業者を甘やかすと、技術の進歩を妨げるのは事実なのでしょうが、とりあえずは補助打ち切りは、普及のブレーキになることが避けられないでしょう。このかねあいは、むずかしいところであります。
● バイオマス発電
  • 「バイオマスが薪や畜糞のたぐいなら、これは本当にクリーンエネルギーなの? 煙も出るし、炭酸ガスも出るじゃない? 風力や太陽光がクリーンなのはよく分かるけど」とおっしゃる方はありませんか。少し解説を加えておきましょう。
  • 私は滋賀県の湖西にすんでいますが、団地の裏に里山があります。すばらしい散歩道ながら、いったん足を踏み入れると、その荒れようには驚かされます。手入れをする労働力がないのでしょうね。そこら中は倒木がいっぱい、ときには里山道にも倒れ込んで腐っています。樹は若いときに炭酸ガスを吸い、太陽エネルギーを固定して成長します。しかし老木になったり、台風で倒れたりすると、今度は朽ちて炭酸ガスを放出します。それで森林全体を、何年かにわたって観察すると、炭酸ガスについても、エネルギーについても、ちゃんと収支償っているのです。そんな平衡状態が自然の生態系というものです。
  • いま私たちがそのような森林から、間伐材を切り出したり、下草を刈り取ったりしてこれらを燃料に使い、電気を起こしたり、発生する熱を利用したりするとしましょう。燃やせばたしかに炭酸ガスは出ます。しかし森にそれらを放っておいても、やはり腐って同じだけの炭酸ガスは出るのです。つまり生態系での炭酸ガスの循環の中に割り込んで、電気や熱といったエネルギーをそこからもらう、これがバイオマス利用の本質です。当然この利用によって、化石燃料の使用量を減らせますから、全体としてみれば、バイオマスが炭酸ガス排出を削減してくれたことになります。
  • さきに太陽から来る膨大な量のエネルギーの、わずか1万分の1を、使えるかたちに変形するだけだと申しました。つまり上のようなバイオマスの利用は、風や太陽光の利用と同じく、その「変形利用」の代表的なやり方の一つなのです。
  • バイオマスは便宜上、含有水分50%以下の乾性バイオマスと、50%以上の湿性バイオマスに分類されています。前者には、木質系(間伐材や木くずなど)と草本系(サトウキビがら、トウモロコシがら、もみ殻等)があります。後者は、鶏糞・畜糞、生ゴミ、食品廃棄物などです。
  • これらのエネルギー資源としての利用のしかたは、一応前者はそのまま燃やす、後者はメタン発酵をさせ、メタンガスを分離してこれを燃やします。電気と熱を利用するのがふつうです。メタン発酵のあとには、液肥(液体肥料)が残ります。技術革新の先端は、乾性のバイオマスをガス化することにも向けられています。こうすることによって、エネルギーの利用効率が格段に向上するのです。また乾性バイオマスから、メタノール(メチル・アルコール)をつくる技術も有望です。これは炭酸ガス排出の少ない液体燃料として、ガソリンのかわりに使うことができます。現在では、つぎに述べる燃料電池の有力な燃料でもあります。
  • もう一言つけ加えましょう。みなさん、農業に従事していられる方や、団地で庭木の手入れをされる方などは、植物の生産力の巨大さを実感していられるのではないでしょうか。現在は引いた雑草や、剪定枝などは、可燃ゴミとしてただ無意味に、焼却場に直行しているわけですが、バイオマス利用が本格的に進めば、今度は休耕田などを利用し、成長の早いバイオマスを積極的に栽培して、炭酸ガス削減に貢献することもできます。バイオマスがもつ可能性は、きわめて大きいのです。
● 燃料電池・コジェネレーション
  • 重要な要素技術の第4番目は、燃料電池です。みなさん、名前だけはお聞きになったことがあるのではないでしょうか。すでにある種の燃料電池は、実際に事業所などで使われてもいます。ところがこの技術、目を瞠るような技術革新を遂げまして、そんな新型の実用化と市販が目の前に来ているのです。あと10年も経てば、そこいらは燃料電池だらけになる可能性があります。
  • この燃料電池は、さきの風車、太陽パネル、バイオマス装置が、太陽エネルギーを直接、あるいはその自然産物(風とバイオマス)から、電気を取り出すいわば1次エネルギーの固定装置であったのに対して、これはそれらから取り出した電気を水素に変えて貯蔵し、必要に応じてまた電気にして使う、いわば蓄電装置の一部だとみることができます。あるいは水素を燃料とする発電装置だといってもよいかもしれません。
  • 原理はこうです。水の電気分解、これは皆さんご存じですね。水の中に電極を立て、ちょいと酸性にして、直流の電気を流すと、水は水素と酸素に分解されて、両極のそれぞれから出てきます。燃料電池はこの逆過程を応用するものです。つまり水素と空気中の酸素とを、電解槽を用いて化学的に結合させ、水をつくる、そのときに発生する「電気と熱」を利用する、こんな装置です。燃料電池から出てくる廃棄物は、水蒸気だけ。おまけに装置に動く部分がありませんから、音も出ません。したがって故障もきわめて少なく、種類によっては寿命もきわめて長い。
  • 「コジェネレーション」、略して「コジェネ」というのをご存じでしょうか。日本語では「電熱併給」といわれています。21世紀のエネルギー・システムは、すべてがこのコジェネになります。
  • 現在のエネルギー・システムでは、大きな発電所で、ボイラーや原子炉で熱を発生させ、これを電気に変えています。原発のことを勉強されている皆さんですから、よくご存じだと思いますが、そのとき発生した熱のすべてを電気に変えることは原理的にできません。原発なら30%ちょっと、新鋭の火力でも40%ちょっとぐらいしか電気になりません。残りのエネルギー、つまり全エネルギーの半分強から2/3ほどは、むだに環境に捨てています。廃熱です。そしてこれが海洋の熱汚染の原因です。
  • 現在のシステムでも、コジェネは試みられてはおります。廃熱を捨てずに、家庭や事業所や工場などで使う試みです。しかし巨大発電所を辺地につくり、巨大送電網で大都市に電気を供給するシステムでは、コジェネを有効に実行することはできません。なぜなら熱は電気のようには、少ないロスで遠方に送ることができないからです。この点で燃料電池は圧倒的な強みを発揮します。燃料電池発電は、基本的に家庭で発電するオン・サイト発電ですから、そこで生まれる熱をそのまま家庭で使えばよいわけです。熱輸送の問題なんかありません。燃料電池ははじめから、コジェネでエネルギーを取り出すことが前提なのです。炭酸ガスは出ないし、コジェネをやるために、エネルギー効率は抜群によいし、こんなに結構な話はありません。強いて欠点をあげれば、まだ普及前で、コストが割高だというくらいのものでしょう。
  • 燃料電池のブレイクはまず自動車からはじまります。ダイムラー・クライスラーとトヨタが、いま一番乗りに火花を散らしています。来年には、これらの両メーカーから、まず自治体に納入するバスのたぐいとして、市販品が出てくるでしょう。しかし残念ながら、まだこれらは本格的な燃料電池車だとはいえません。なぜなら燃料として水素を積んで走るのではなく、メチルアルコールかガソリンを積み、これを改質器と称する装置に通して、そこから水素を取り出して、これを燃料電池に供給して走るという代物です。だから炭酸ガスの削減効果は、低公害車などとよばれているトヨタのプリウス程度で、あくまでも過渡期の車です。なぜ水素を直接積まないのかというと、現在では、町中で水素を調達できるようなシステム(いわゆるインフラ)が、まったくないからです。これがいちばん大きい理由です。
  • こうして燃料電池は、まず自動車競争が火をつけて、この火がやがて家庭に広がることを、もう関係者の誰もが疑いえない状況になっています。
  • もう一つ、燃料電池のすばらしいところを言っておきましょう。超小型、小出力のものから、1万kWくらいの、風力以上をいく大きなものまで、いろんな出力の装置を、この同じ原理でまかなえるということです。まだ研究段階ではありますが、携帯電話機やパソコンの電源をこれでまかなうことが考えられています。燃料をメタノールのカートリッジで供給する携帯電話の試作品がすでに発表されております。
● 給配電システムの革命がやってくる
  • 20世紀は、何でもかでも、大きくなった時代でした。スケール・メリットと申しまして、大きくすればコストが安くなったからです。エネルギーの場合も例外ではなく、少しでも大きい発電所をつくって、遠くの都市へ送りました。ところがこの常識を技術革新がこわしはじめたのです。21世紀には疑いもなく、エネルギー給配電施設もまた、20世紀の大規模集中型から、小規模分散型への移行が進行します。
  • いずれはすべての家庭に、燃料電池が備え付けられるようになり、屋根の全面は太陽パネルになります。都市ガスのパイプラインは改造されて、水素のパイプラインになり、燃料電池につながります。
  • こんな夢物語、しかし実際には実現が目の前に見えている夢物語なのですが、それに対して多くの人が首を傾げます。現在のシステムから利益を得ている人々が、政治の世界にも、産業界にもまだまだたくさんいるので、それらの人々が逆宣伝をするせいでもありましょう。太陽化システムに疑問をもつ人々の言い分の一つは、「自然エネルギーは、クリーンかも知れないが、それだけでは膨大な文明の需要を満たすことは不可能だ」というものです。もう一つは、「風力にしても、太陽光にしても、いつでもそこからエネルギーを得られるわけじゃない。風が吹かなきゃ風車は回らないし、太陽パネルは夜は電気を起こしてくれない」「自然エネルギーは電気の質が悪い。電圧も周波数も変動する」などというものです。
  • 私はなにも明日からいきなり化石燃料や原子燃料をやめて、再生可能エネルギーだけにしろといっているわけではありません。50年、100年のちの地球と子孫のことを考えて、いまから行動を開始しようといっているだけのことです。こういう視野でみますと、「文明の需要を充たせない」などというのは、ナンセンスな反論だということが分かります。いまから100年前の科学・技術はどんな状況だったでしょう? 100年前といえば、まだライト兄弟の飛行機は飛んでいないのですよ。まして科学・技術は猛烈な勢いで、発展のテンポを速めています。そして少なくもエネルギーに関するかぎり、発展の道筋ははっきりと見えているのです。おまけにさきにも言いましたように、太陽から地球に来ている全エネルギーのわずか1万分の1を、使える形に加工すればよいだけの話です。足らないなどということはありえません。
  • 第二番目の反論も、いくらか真実の部分があるのは、過渡期だけのことです。21世紀、次第に巨大発電所は、家庭や事業所、個々の工場にある「マイクロ発電所」にとってかわられます。世界中がいずれは発電所だらけになるのです。こうなるとどんなことが起こるとお考えになりますか。そうです。世界の無数の発電所は、ネットワークで一つにつながります。インターネットのことを考えてみてください。これは世界中のパソコンが一つにつながったネットワークです。世界の家庭が、エネルギー・ネットとして一つのものにならないなどと考える方が、むしろおかしいのではありませんか。たぶんネットワークの管理は、過渡期には自治体がやるようになるでしょう。自治体は風力やバイオマスや、やがては燃料電池で、いくらか大きい目の、といっても1万kW以下ですが、自前の発電機を備えて、まだ家庭自体を発電所にはできない経済的事情の家に対して電気を供給します。
  • こんなエネルギー・ネットは、第二の疑問が言っているのとは正反対に、事故や電気の質の維持に対しては、めっぽう強力であります。ネットの一部に破れ目ができる、具体的にはある「家庭発電所」が故障を起こした、瞬時にいままでと変わらぬ電気が、ネットから流れ込んできます。生活には何の支障もありません。故障のサインはでますから、悠々と修理をすればよいのです。この御坊のあたりではいかがでしょう。短ければ数分の1秒、まれには数分の停電が起こることはありませんか。滋賀の湖西ではときどきあるんです。だから遠くで雷なんか鳴ると、パソコンの電源を切って、しばらく作業を控えたりしています。病院などは停電は人命にかかわりますから、みんな非常用電源を備えていますよね。未来の給配電システムでは、こんな事故や心配は全くなくなります。そもそも本質的に、小規模分散型は、大規模集中型にくらべて、事故や故障に対する安全度は高いのです。震災のときなどは、小規模分散型は決定的な威力を発揮することになるでしょう。
● いまさら原子力なんかいるのだろうか〜脱原発の論理
  • 私は大学では放射能の勉強をしていました。30年ほど前、和歌山でも、日高や、古座や、お隣、三重県の芦浜などが原発建設の候補地にあがりはじめたころです。政府のサン・シャイン計画が立ち上がったころで、自然エネルギーの将来に対して、技術はまだ雲をつかむような状態でした。そのころ私は、人類は十分な注意を確保しながら、この原子力という猛獣を飼い慣らすほかはあるまいと考えていたのです。
  • しかし1990年代に入ってから、一切の様相ががらりと変わりました。どんなに変わったかはきょう申し上げたとおりです。大型化してきた風車は、海上風車にすることが常識になって来つつあります。そのうちに山並みの尾根筋や、海の浅瀬は、風車で埋まることになるでしょう。すべての家には太陽パネルが輝き、燃料電池が装備されます。全国の里山や森林は、バイオマスの永続可能な採取のために、現在のような荒れ放題の状態ではなくなります。緑が活気を取り戻すのです。
  • この期になって、日本はいま、どうして「みんなのいやがる原子力」にこだわる必要があるのでしょうか。私の考えでは、原子力に伴う放射能は、チェルノブイリのような事故でも起こさないかぎり、人類にとって、そんなにこわいものではありません。これはおそらくみなさんの実感とは異なるのでしょうが、実はといえば、正常な状態で、そこいら中は、放射能だらけなのです。私たちの身体の中にさえ、自然の状態で、放射能は入り込んでいます。人類は放射線や放射能の場の中で、気の遠くなるような長い進化の過程を経てきたのでした。だから私は、現在の日本の原子力開発政策がもつ危険は、放射能の危険というよりは、原子力へのこだわりのために、「太陽文明化」のスピードが減殺され、その道筋が歪められること、そしてなによりも、それを途上国がまねるようになることだと思っています。
  • そろそろお話は終わりに近づきましたので、もう一つ太陽文明化のすばらしい性格について、ごく簡単に触れさせていただきましょう。地球上で、化石燃料や核燃料の産出は、特定の場所にかぎられています。それらの資源は「偏在」しているのです。そして産業革命以降は、この「偏在」が、国家間の争いの大きな原因の一つになってきました。ところが風や太陽光やバイオマスはどうでしょう。たしかに風力発電や太陽光発電の適地・不適地というものは存在します。砂漠にはバイオマスはみられないでしょう。とはいえ、これらがなんにもないという国は世界中、どこにも存在しません。つまり太陽エネルギー資源は、世界に「遍在」しているのです。同じ「へんざい」でもニンベンと、シンニョウヘンでは事態が180度ちがいます。やがて来るべき(第2次の)太陽文明社会は、現在よりは、国同士のいがみ合いの少ない、南北問題の軽減された社会になるでしょう。小規模分散化へのエネルギー革新は、世界の平和にも貢献するのです。
  • 100年後、人類の文明は見事に「太陽文明への回帰」を果たすでしょう。そして22世紀の子孫たちは、「化石燃料文明や原子力文明は、二つの太陽文明のはざまに咲いたあだ花であった」とわれわれの時代を評価することになるでしょう。必ずやそうさせなければなりません。でなければ、地球と文明の永続が怪しいのです。
(以上)
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