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創業期から3代目伊賀鉄道まで興味ある事柄を紹介(第4章) |
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昭和52年(1977)年4月〜平成19(2009)年9月 |
1.伊賀線近代化で車輌に変化が始まる。
その1,短命に終わった旧名古屋線からの車輌群。
第3章でも触れたように手小荷物室付制御車(クニ5361)が昭和35年7月入線し翌年養老線から元伊勢電モハニ201、211型改造の2両が来て活躍したが近代化の昭和52年3月ことごとく廃車されている。いずれも昭和初期の冷房装置が無く吊り掛けモーター付D-16型の古い型で寿命も間近な代物であった。
その2,元奈良線生え抜きの高性能中型車が生駒線を経て入線した。
奈良線に昭和30年登場したシュリーレン台車、軽量車体の特急800系が衝撃的で一時期は特急車でもある。次いで同36年に増備した820系両扉式妻面扉付きであるが18メートル車です。当該車輌が流れ流れて伊賀線に配属されることになる。20メーチル級大型車導入に切り替わり生駒・田原本線移動した。昭和59年狭軌化して形式称号も860系に改番された。先ずcM+Tcを4編成が同61年に2編成を転入させる予定である。1986年にモ881+ク781とモ882+ク782が入線している。出自は異質で800系からの改造された車輌であり7年後姿を消した。平成6年10月からワンマン運転方法が゛始まるが下記の写真右はその前のものです。
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伊賀線近代化時代1奈良線から田原本線にへ転属した当時の720形722後に伊賀線に配属された |
伊賀線近代化2伊賀線に転属され上野市駅で待機中の風景(塗装は現在と違う) |
その3,伊賀線は貨物輸送が主な時代があったことを憶えていますか。
伊賀線には過去多数の電気機関車が在籍していた。今日では各駅の貨物用設備が消滅し貨物列車が連日定期便で走る姿が想像できません。しかし昭和48年10月1日で以て貨物運輸営業は完全に廃止された。過去に在籍した電気機関車を簡単に紹介しょう。
T、 デ1形1・2(凸型鋼製ボギー車) 車体重量20.0頓、川崎製電動機出力224.0kw4個、定格引張力3402キログラム級の手頃な形態である。大正15年5月川崎造船所製の新製で一時期蒸気機関車の予備車と同居していた。参宮急行電鉄時代も番号に変化なし。関西急行鉄道時代に8・9号と改番している。9号は同42年9月と8号は同50年9月各廃車され解体された。
U、デ31形31(箱形鋼製ボギー車) 車体重量40.00頓、三菱製電動機出力512.0kw4個、定格引張力5900キログラム級の手頃な形態である。昭和23年2月三菱造船所製の新製で最初から入線活躍したが同46年10月養老線に転属した。
V、デ61形63(凸型鋼製ボギー車) 車体重量35.0頓、WH製電動機出力388.0kw4個、定格引張力3670キログラム級のELは、昭和2年10月三菱造船所製の元大阪鉄道デキA1001形1003が応援で転入した車輌です。同47年3月養老線へ転属している。
W、テ35形35(凸型鋼製ボギー車) 車体重量30.0頓、BBC製電動機出力209.0kw4個、定格引張力3556キログラム級のELは、昭和9年5月木南車輌製の元吉野鉄道の車輌である。旧番号はデ81形83転入した車輌昭和50年11月廃車解体されている。
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伊賀線電気機関車 1貨物輸送時代の上野車庫構内とデ8号風景 |
伊賀線電気機関車 2西名張検車区での定期検査中デ31号 |
その4,伊賀線晩年の沿線風景で記録すること。
平成11年11月比土駅駅舎と便所解体、市部・依那古間軌条交換、桑町・依那古間木柱をコンクリート柱に立て替える。同12月桑町、新居駅老巧化便所の改修撤去、同13年12月依那古駅倉庫撤去、同14年3月866F車体にピンク塗装する。平成15年6月11日留置し翌年5月28日機器類撤去翌日比土駅に回送、平成17年4月27日伊賀線活性化協議会を設立する。同年12月14日伊賀市議会議員懇談会で上下分離案を希望する。
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