第六十八話
摘まみても 摘まみても青虫 何処より

  「チョウ・・・」と言って、まず頭に思い浮かぶのがモンシロチョウ、アゲハチョウ。次にせいぜいクロアゲハぐらいであった。
ここ五、六年の里山暮らしで、いろいろのチョウとめぐり会い知るようになって、単純な疑問が出てきた。“チョウにもいろいろ種類があるようだが、どのように種類分けされているのか”と。
 里山暮らしを始めて、キチョウ、キアゲハ、ギフチョウ、ルリタテハ、アカタテハ、ジャノメチョウ、ヒカゲチョウ、ベニシジミ、(セセリチョウ)等々、眼にして知ることができた。最近になってやっと、アサギマダラ、モンキアゲハ、アオスジアゲハ、ヒョウモンチョウ、ツマグロヒョウモン、ミスジチョウ、コミスジ、コノマチョウ、イチモンジチョウ、ダイセンシジミ、ゴマシジミ・・・等をも時折見かけ得る環境にある。 

交尾直前の♂♀モンシロチョウ。ホバリングしながら接近を試みている。
一度は見たに違いないが、然(シカ)と確認しえていないチョウ、それなりの理由で、名前だけはよく知るようになったが、いまだ直に(野外で)見たことがないチョウ・・・など等。

キャベツは穴(食痕)だらけになっている。丸印(黒マジック)の中央に見える白い点が産み付けられた卵である。
  チョウの場合、翅の表裏の色彩模様が、全く違っていたりして戸惑ってしまうことがよくある。名前にしても名前後部に“〜チョウ”と付いていたりいなかったりして、どちらが正確な名前なのか分からないのもある。上に単に“セセリチョウ”と書いたが、これはセセリチョウ科の総称で、セセリチョウという種は存在しない。翅模様が微妙に違うものが多く、まだ確かな識別能力がなく、同定できないので総称でごまかした。同じことがシロチョウ、マダラチョウ、タテハチョウ、シジミチョウにも言える。いずれも総称名で個別名でない。 

  さてモンシロチョウはおそらく、幼き頃最初に知ったチョウと思う。このチョウは日本全土にいて、耕地周辺に多い。   

幼虫(アオムシ)がキャベツ、ハクサイ、コマツナ、ダイコン、カブ(いずれもアブラナ科)などを食草としているので、害虫の部類である。「野菜あるところ、青虫あり」と言えるほどに繁殖し目立っている。アオムシが付き始めると、朝晩目を皿にして取り除かないと、葉っぱが穴だらけになってしまう。いちいち踏み潰すのも面倒でもあり気が進まないので、ビンに入れて放置しておいたら、蓋のウラに張り付いて蛹になっていたりする。だから平野部の何処ででも棲息できるわけだ。その上発生回数(多化性)も年6〜7回と多い。とにかくいたる処で観られる。雑草に似た逞しさ、生命力の強さのようなものをここに見ることができる。だから「この世で最初に見知ったチョウ・・・」だろうこともうなずける。
青虫;シロチョウの蛹である。芋虫、毛虫と若干イメージが違う。
 “摘まみても 摘まみても青虫(ムシ) 何処(イズコ)より”  

青虫退治に入れてあった、ビンの蓋の裏にへばりついて、蛹に変身していた。
  ところで“青虫”と言えば、チョウ全体の幼虫の代名詞のように使われている。しかし実際はシロチョウ科の幼虫に過ぎない。他の種別の幼虫は、むしろ芋虫、毛虫という表現の方が当たっている。このあたり一般的な捉え方に若干の偏りを感じるが、私の勘違いであろうか。  またモンシロチョウというのは、シロチョウ科という種の一つであることを知った時は奇異に思えた。“シロチョウ”何か語呂が悪く言葉足らずに感じたからだ。それも老いて里山に来てからだから、「不勉強だったなあ・・・」と反省させられる。 
モンシロチョウという名称・概念はそれほど強烈に頭にこびり付いていた。 
  ついでに農業上の害虫としては、モンシロチョウ(キャベツに青虫)以外、イチモンジセセリ(稲にハマクリムシ、ツトムシ)、シジミチョウ(豆類にウラナミシジミ、オジロシジミ)、アゲハチョウ(ミカン苗木に芋虫)など散見されるものの、殊のほか著しいと言われるほどの被害は及ぼしていない。われわれ人間にとっては全般的に、害より益の方が大きいように思われる。チョウは自然界で最も美しいものの一つとして扱われ、文化面において様ざまの形で利用活用されている。例えば、国蝶・オオムラサキをデザインした日本切手など。
  アゲハチョウはたぶん、夏休みの宿題で近くの山へ昆虫採集に行った時が、始めての出会いであったような気がする。

アジサイで吸蜜しているアゲハチョウである。後翅の見事な尾状突起が見える。
山道ですれ違いざまに発見し、あわててわれ先に(補虫)網を振りまわしたのを覚えている。幼友達を無視して・・・。 

同じくアゲハチョウであるが、痛々しい。いずれの蝶や蛾でもこのように傷ついているものが時々観られる。自然に於ける生存競争の厳しさが覗えてさびしい。
街では見れない大型チョウに、めぐり合った時の感動は幼心にしっかり残っている。いまだに鮮明に思い出せる。
  都会暮らしの段階では、少数のチョウに、しかも偶にしか出会えなかった。昆虫にしてもハエ、カ、クモ・・・など、ごく当たり前の虫たちの域を出ない。オット!クモは昆虫ではなかったが(節足動物)。自然を背景に暮らせるようになった環境では、時が巡るに従い、数え切れないほどの生き物たちに出会うことができる。朝の訪問者、昼の訪問者、夜の訪問者・・・。特に昆虫とは品種が多いだけに新しい出会いも多い。そのたびに会話が弾む。自然音痴の私には尚更である。
  珍しい昆虫もさることながら、特にチョウ、美しいものとの出会いには感動がある。且つ心を豊かにして楽しませてくれる。自然は心身ともに癒してくれる。まことにあり難いことに違いない。


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