はじめに 
5月(2001年)御坊(和歌山県)の、かつての原発反対組織の集会で行った講演の趣旨を発展させて、この8月19日、近江舞子(滋賀県)で行われた「大阪から公害をなくす会」の夏の環境学校で講演しました。結果は一言で言えば大好評だったのですが、あとの懇親会の席上で、一つだけ気にかかる感想を聞きました。「長年高速道路反対の運動に携わってきたが、きょうの話を聞いて、いったいわれわれの運動は何だったのかという気になった。運動なんかしなくても、技術が進歩して、すべてうまく問題は解決するのではないか」というのです。  この受け止められ方は私の本意ではありません。私はとかく成果の見えにくい公害反対運動や、環境保護の運動に、「いや成果は上がっているのですよ。それが証拠に、ここまで世の中は変わりはじめています」と、むしろ運動への激励の言葉を述べたかったのです。明らかに技術の進歩も、企業が変化する兆しも、自治体や政府を巻き込んだ市民の運動の成果以外のなにものでもありません。しかも大企業支配の20世紀型文明から、小規模分散型へと、「生産の民主化」が進行する21世紀、22世紀型文明をになう主役は、明らかに市民であり、自治体をも含めたその組織であり、それらの運動です。  以下のその講演の記録を注意して読んでいただければ、そのことは容易に分かっていただけると思っています。誤解のないよう、よろしくお願いします。(林)

 なおこの講演に出てくる数字は、主としてワールド・ウォッチ「地球白書」「地球環境データブック」(年刊)、「日経エコロジー」(月刊)の記事からとっています。



未来と世界を眺めることのすすめ

〜 太陽と風、バイオマス、そして水素が地球を救う! 〜

林  智(前日本環境学会副会長、元大阪大学)
  •  かつて気象研におられた矢野直さんとか、近畿大学の青山政利さん、立命舘大学の和田武さんを誘いまして、「地球温暖化を防止するエネルギー戦略」(実教出版)という本をつくりましたのが、ちょうど5年ほど前になります。副題は「太陽と風は地球を救えるか」です。5年前といいますと、いまからふりかえれば「太陽パネル発電」と「風力発電」がいわゆるブレイクしたこの10年、つまり1990年代の、ちょうど中ごろであります。
  •  そのころから私はしきりに「太陽化」「太陽社会化」「太陽文明化」ということばを使っておりまして、本の中にも出てまいりますが、副題は、それを頭に置いて出版社がつけたのではなかったかと思います。しかしこの言い方、そのころの社会的感覚をよく表しているような気がいたします。そこではまだ「地球を救えるか?」という疑問形、あるいは期待形なのであります。
  •  ところがその後の5年間に、技術は大きく進歩をいたしました。そしてこれらの技術の市場進出も、それこそブレイクということばが表すように、めざましい様相を呈しています。いまや疑問形、期待形ではなく、「太陽と風が地球を救う」と、自信をもって断言できる段階に突入したと、私は確信をしております。いまとなってはもう少し正確に表現をしておきましょうか、この講演で副題にしたように、「太陽と風、バイオマス、そして水素が地球を救う」。これはもう、疑いようがありません。

1 狭間のあだ花〜化石燃料文明 

  •  「太陽化」「太陽社会化」「太陽文明化」に関しましては、私はかねてから、これはすでに20年来のことでありますが、つぎのような見解をもっております。
    (1)「第一次太陽文明」から「化石燃料文明」へ
  •  およそ1万年くらい前と考えられる文明の発祥以来、その文明の血液ともいうべきエネルギーは、ずっと太陽エネルギーでありました。人間自身の力、家畜の力、煮炊きや暖をとるために使った薪炭のエネルギー、ずっと下って2000年前の頃からは、機械も使われるようになりますが、それも水車と風車の利用であって、これらもみんな太陽エネルギーで動きました。つまり文明1万年の歴史は、そのほとんど全体が「太陽文明」であったのであります。
  •  ところがわずか200年ちょっと前の18世紀後半、イギリスで産業革命がはじまり、100年ほどのあいだに、それが全世界に広がりました。そして「太陽の王座」は揺らぎました。人間世界は「化石燃料文明」に突入したのです。機械を動かすのに使うエネルギーが化石燃料によってまかなわれるようになりました。最初はご存じ、石炭です。このことによって、人間は、きわめて狭い空間で、瞬間的に(ちょっとしゃれた言い方をすれば、「凝縮された時間・空間で」ということになるでしょうか)巨大な量のエネルギーを解放することができるようになって、いわゆる開発の規模は、画期的に大きくなりはじめました。同時に公害も起こり、地球がたいへんな事態になりはじめたことは、みなさんご存じのとおりであります。
  •  すこし深くものを考えられる方のなかには、あるいは「ちょっと待ってよ、石炭ももともと太陽エネルギーじゃないの、あれは太古の樹木が地殻に埋もれて炭化したものでしょう」とおっしゃる方があるかもしれません。おおせのとおりです。その点、やがて石炭が王座をゆずった石油も、ぼつぼつ石油の王座を奪いはじめた天然ガスも同じであります。
  •  しかし、「太陽エネルギー」と「化石燃料」が人間環境に対してもつ意味は、本質的にちがうのです。このことを理解しておいてください。いまわれわれが問題にしているのは、現在の人間の生存の条件であるところの「生態系、つまり環境」の健全性の問題です。たしかに石炭、石油、天然ガスは、もとをただせば1000万年から1億年ほどの昔に、地球に降った太陽エネルギーであるにはちがいありません。しかしそれらは、いまは人間環境である現在の生態系からは断絶して、鉱物として、化石として、地殻のなかに眠り込んでいたエネルギーです。「化石燃料文明」は、その眠れるエネルギーを掘り起こして、無分別に現在の生態系の中に投入しています。くり返して言いますが大事なのは、われわれが生かされ、また子孫が生きることになる現在の、そして「現在とつながっている生態系」なのであります。
  •  それゆえ、誤解のないように、私のいう「太陽文明」の定義をし直しておいた方がよいのかもしれません。すなわち「太陽文明」とは、「時々刻々、あるいは少なくとも最近の百年くらいのうちに、太陽から地球にやってきたエネルギーによって支えられている文明」であります。 
    (2)「原子力文明」の登場
  •  そしてそのうち、20世紀になると「原子力文明」が登場しました。20世紀の中ごろには、これがやがて「化石燃料文明」にとって代わる「文明の本命」だという雰囲気さえ感じられる時代もありました。しかし原子力が現在どうなっているか、みなさんこれもご存じのとおりであります。世界的には失速中、こだわりつづけているのは日本、先進国では、過去の開発のいきさつ上、関心の強いフランスとロシア、それから化石燃料資源のない途上国。ところが最近アメリカにできた変な政権が、日本顔負けの原子力への関心を公言するなど、ここにも話題は、わんさとありますが、きょうは原子力については、お話しの本題ではありませんので一切触れません。
  •  ただ原子力も、化石燃料と同じく、現在の生態系とはまったく切り離されて、地殻の中に眠っているウランから、「核エネルギー」を引き出して利用しようという点は、確認をしておく必要があるでしょう。だから化石燃料と核燃料(つまり原子力)は、資源として地殻中にあるものを、使い尽くせばそれでおしまいという、いわゆる「再生不能資源」、「再生不能エネルギー」であります。ところが「いま時々刻々太陽から来ているエネルギー」の方は、使ってもなくなりません。太陽が健全であるかぎり、地球と人間に恩恵を与えてくれる「再生可能エネルギー」であります。
    (3)「廃棄物環境」が破綻する!
  •  さてそれでは、私が早くから「太陽化」「太陽社会化」、あるいは「太陽文明化」と言っていることの意味を、もう少しくわしくお話ししておかなければなりません。私は、視野を数百年、数千年の未来に広げて考えると、「化石燃料文明」「原子力文明」は、放っておいてもふたたび「太陽文明」に回帰せざるをえないと言ってきました。それは時間の問題であるにすぎない。なぜなら、自明のことですが、「化石燃料」も「核燃料」も、使えばなくなる再生不能資源であるからです。そしておまけに、時々刻々太陽から地球に来ているエネルギーの量は莫大です。現在の人間文明が使っているエネルギーの優に1万倍は来ています。このことを逆の表現で言いましょう。「地球に降り注ぐ巨大な量の太陽エネルギーのわずか1万分の1を、現在の文明が必要とする形に変形できれば、それですむ」話なのであります。技術が進歩すれば、そんなしゃれたやり方に、次第に移行して行かざるをえないのではないでしょうか。
  •  もっとも私は、多くの人が漠然と思っているように、「化石燃料」も「核燃料」も、それらの資源は簡単になくなるものであるとは思っていません。これもきょうの論点ではありませんので、くわしくは申しませんが、これらいずれはなくなるにはちがいないけれど、まずは千年、そのつもりになれば1万年くらいでも大丈夫です。人間環境は、神戸商船大学の西川栄一さんの言葉を借りれば「資源環境」と「廃棄物環境」と、二つの観点からとらえることができますが、前者「資源環境」の方はまだまだ大丈夫で、そんなに心配したものではありません。
  •  ところが後者、「廃棄物環境」の方は、いま21世紀の始まり、ご承知のように、まさにパンク寸前であります。産業革命より以前、私はこれを「第一次太陽文明」の時代といっておきたいのですが、長かったその時代には、環境は、いわば人間活動が攪乱した生態系の復元役でありました。彼は人間という暴れ者に閉口しながらも、黙々と後始末をしてくれたのです。もちろん地球上、局所的には「廃棄物環境」がパンクし、パンクさせた古代文明が廃墟になったという事例が、たくさん知られるようになってはおります。でも全体としての地球生態系には、何の支障もありませんでした。
  •  でも今度はちがいます。ご承知のように文明がグローバル化をしています。いま「廃棄物環境」がパンクすれば、地球文明の全体が亡びます。現在の技術の段階では、数十億の人類をどこかの他の星に逃げ出させるなどということは、あるとすればSFの世界の空想物語にすぎません。現実には逃げ場所などないのです。そしてその「現在の『廃棄物環境』のパンク」の最先端は、いうまでもなく気候変動、ついぞ今年の夏の暑さで思い知らされた、そんな感じになってしまう、いわゆる地球温暖化の問題であります。
    (4)「第二次太陽文明」へ〜21世紀は人間文明の勝負どころ
  •  IPCC(気候変動に関する政府間パネル)などの科学的な研究成果から勘案して、人類が気候変動の脅威から完全に解放されるタイム・リミットを、私は22世紀初頭であると考えています。つまりその時点で、地球文明は、完全に太陽文明回帰を果たす必要があるということであります。そのためには50年後の2050年のころには、やがて来るべき「第二次太陽文明」へのたしかな足取りを、確認する必要があるでしょう。京都議定書の2010年は、22世紀に向かうそんな人間活動の、いわば「踏み切り台」の時期といってもよい年です。
  •  エネルギーの観点からみた、世紀ごとの性格をまとめておきましょう。19世紀は「化石燃料文明」の登場とその発展の世紀。20世紀は「化石燃料文明」の全盛、そして「原子力文明」萌芽の世紀。21世紀は「化石燃料、原子燃料(核燃料)からの脱却の世紀」。22世紀は「第二次太陽文明」幕開けの世紀ととらえておくことにしたいと思います。
  •  ちなみに、「太陽文明」が、「化石燃料文明」や「原子力文明」よりも、より平和な世界をもたらすであろうという基本的視点も、忘れないで心の片隅においておいてください。現在の世界は、ご承知のように、平和な世界であるとはとても申せませんが、その無視できない要因の一つに、地球上における資源「偏在」の問題があります。世界における過去の大きな戦争の背景には、ほとんど例外なくこの要因が控えておりました。しかし化石燃料や原子燃料にくらべて、太陽エネルギーは、まったく平等とはいえないにしても、はるかに公平に世界の各地に到達しています。そうです、太陽エネルギーは世界に「遍在」しているのだといってもよろしいでしょう。同じ「ヘンザイ」でも、ニンベンではなく、シンニョウヘンの「ヘンザイ」です。意味が180度ちがいます。
  •  22世紀、23世紀以降を生きる地球人は、きっとこう言って過去の300年をふりかえるにちがいないと、私は信じているのです。「むかし『化石燃料文明』とか『原子力文明』とかいうのがあったんだってねえ。たしかにそのとき世界は輝いたそうだけど、どちらも二つの「太陽文明」の狭間のあだ花だったんだ!」。

2 大規模集中型から小規模分散型へ〜ブレイクする技術たち

    (1)先入観からの解放
  •  さてここで話題を転換いたしましょう。20世紀は、もう誰でも知っておりますように、大量生産、大量消費、大量廃棄の時代となりました。そのきっかけは、1910年代のフォード自動車の、流れ作業による大量生産であります。もちろんこのような生産・消費様式が、環境問題を一気に顕在化させたこと、いうまでもありません。すべての企業はいわゆるスケール・メリットを求めて、生産設備を巨大化させました。もちろん電力事業も、その例外ではありません。発電所は次第に巨大化し、原発にいたってはもっぱら辺地につくられ、そこで起こされた電気が、巨大送配電網、すなわち山を越え、谷をわたる巨大鉄塔と高圧送電線を介して、巨大都市の各家庭に送られているのが現状であります。
  •  私たちは、こんな電気の供給のされ方を、なぜかいままで当然のことのように思いこまされてきたのではないでしょうか。しかし20世紀も後半が進行するとともに、何につけても大規模集中型ははやらなくなって、小規模分散型に移行しつつあるのはよくご存じのとおりです。小規模分散型の発電は、できる電気の質が悪いという言い分がありますが、それはむしろ逆です。大規模集中型の、あなたまかせの電力供給システムこそ、不時の事故に対してはまったくもろいのです。もう数年も前のことでしょうか、若狭の原発の変電装置の故障でしたか、そのために京都の一体が大停電に見舞われたことがありました。さらに前には東京にも、大規模集中型であるがゆえの大きな停電事故があったように思います。それはそうでしょう、たとえ小さな事故でも、それがシステムのかなめのところで起これば、影響が大きな範囲におよぶのは、論理的な必然であります。
  •  だから病院のように、不時の停電が人命にかかわるような施設では、例外なくそんなハプニングに備えて、自家発の設備が設けられています。停電と同時に、自動的にその稼働が始まるようになっているわけです。ここで頭を180度切り替えて、電気はすべて自分の家でつくる、いまは補助設備である自家発を、電気の主要供給設備に格上げするというふうにしたらいかがなものでありましょうか。
    (2)自動車を考えよう!
  •  ここにまことに興味深い一つの見方があります。実は現在すでに、先進諸国の各家庭には、ほとんど例外なく分散型エネルギー源が、厳として存在しているというのです。お分かりいただけましょうか・・・・・それは自動車であります。たしかに現在の自動車は移動のための手段にちがいありませんが、いまもし仮にそのエンジンに、発電機をつなげばどういうことになるでしょう。これはやろうと思えば、技術的にも、経済的にも、できないという相談ではまったくありません。
  •  自動車エンジンの出力は、平均して100kw程度と考えられますので、世界の自動車約6億3000万台では、総出力630億Kwになります。これは100万kw級原発で換算して、6万3000基分であります。日本について算術をしておきましょう。94年のデータですが自動車保有台数は、6500万台です。すると総出力は65億kw。これは原発6500基分ということになります。京都議定書に対応して、2010年に原発建設が20基必要だとか、いや10基だとか言っているのは、まるでばかみたいな話なのではないでしょうか。
    (3)マイクロ・ガス・タービン
  •  そしていま、自家発用の小型エンジンに、目を瞠るような技術革新が起こっています。マイクロ・ガス・タービンの出現です。いままでの自家発エンジンは、ディーゼル・エンジンでした。ご存じのように、ひどい騒音と排気ガスを放出します。だから非常用としてしか使えないという面がたしかにありました。しかしいまこれがマイクロ・ガス・タービンに置き換わろうとしています。
  •  ガスタービンというのは、原理的には飛行機のジェット・エンジンといっしょ、圧縮空気のなかで燃料、もちろん化石燃料ですが、これを爆発させて、高温・高圧の気体をつくる、この気体をそのまま噴出させて前進するのがジェット機です。そしてそれでタービンをまわすのがガス・タービンです。このタービンに発電機を取りつけます。
  •  実はガス・タービン、数十万kwの新鋭大規模発電所として、従来から使われているのです。ところがいままでは100kW以下の小型エンジンでは、自動車などに使われている往復ピストン型のエンジン(レシプロ・エンジンといいますが)、こちらが使われてきました。この方が熱効率がはるかに大きかったためで、小型はレシプロ、大型はガス・タ−ビンという用途の棲み分けが成立していたのです。ところがレシプロとガス・タービンをくらべてみると、熱効率以外では、ガス・タービンの方がよいことずくめ、原理も構造も簡単だから、部品の点数は10分の1しかない、したがって、故障は少なく、同じ出力なら大きさは3分の1以下にできる。当然量産が進めば、コストはレシプロの半分近くには下がるだろうとみられています。複雑な動力の伝達機構がないから、振動も騒音も少ない、レシプロより燃焼温度が低いので、NOXの排出も少ない低公害型。ざっとこういうわけです。なんといっても考えてみれば、タービンというのは、流体の流れのエネルギーを回転運動に変えるので、その部分についてみれば水車、風車と同じ原理ですからねえ。
  •  ところが泣き所だった小型ガス・タービン、つまりマイクロ・ガス・タービンの熱効率に、技術のブレイク・スルーが起こりました。ある工夫によって、発電機をつないだ場合の発電効率、これが30%近くにまで上がったのです。おまけに小規模分散型では、いまや常識のコ・ジェネ、ご存じですね、これが最大限に利用できる。発電にともなって出てしまう熱をそのまま廃熱にせず、熱そのものとして利用するわけです。熱は電気とちがって、簡単には遠くまで送れませんから、大規模集中型ではコ・ジェネの効率は知れたものです。しかし小規模分散型なら、熱が発生するその付近で利用することができますから、これを最高レベルにまで上げられる。暖房だけでなく、冷房にも使える。いまマイクロ・ガス・タービン発電機の総合熱効率(これは発電効率と、廃熱の回収効率の合計です)が80%にまで達したと言われています。
  •  実際に非常用の小型発電機は、いまディーゼルから、マイクロ・ガス・タービンに、奔流のように置き換わりはじめました。病院、ホテル、飲食店、オフィスなどの設備更新です。残念ながらこの技術革新の先頭を走るのは、ハネウェルとか、キャプストンとかいうアメリカの企業で、日本ではトヨタ・グループが必死で追いかけ、タクマ、荏原などがアメリカ企業と提携して、日本の小型発電機市場に名乗りを上げようとしています。
  •  マイクロ・ガス・タービンの市場は、日本国内だけで年間1兆円規模ともいわれます。そして価格も、50kw出力機で、500万円、1kwあたりすでに10万円を切ったようです。もちろん小型発電装置の本命は、つぎに述べます燃料電池です。この方は、みなさん名前はもうよくお聞きになっているのではないでしょうか。マイクロ・ガス・タービン発電機は、燃料電池の露払いのような格好で、2000ゼロ年代、小型発電機市場を席巻しはじめている、こういうわけであります。
    (4)燃料電池
  •  ではつぎに燃料電池、これについては、よくご存じの方もあるかもしれません。ここで概説をしておきましょう。電池といっても〜たしかに原理は電池にほかなりませんが〜これは「小はパソコンや携帯電話の電源から、大は数十万kwの大規模発電所の電源まで、広範な出力範囲での応用が期待される発電装置」であると考えた方がよろしい。
  •  その原理はこうです。水を電気分解すると二つの電極に、それぞれ水素と酸素が発生することは、いまでは知らない人はいないでしょう。この電気化学反応の逆過程を、電解槽を用いて行わせるのが燃料電池です。つまり水素を燃料とし、これを空気中の酸素と結合させて、電気と水を発生させます。
  •  燃料電池が、レシプロ・エンジンとくらべてはもちろん、ガス・タービンよりもすぐれているところはいくつもあります。まず可動部分がありません。それゆえ音はまったく出ません。可動部分がなければ、故障を起こす確率は格段に低くなります。寿命は種類によってちがいますが、電解質に固体を使うものはきわめてこれが長い。ガス・タービンは低公害だとはいえ、やはり基本的に化石燃料を用いるエンジンですから、炭酸ガスやNOxが出ます。しかし燃料電池は燃料が水素ですから、出る排気ガスは水蒸気だけです。つまり「無公害」発電機と申してもよろしいでしょう。もちろん同時に発生する熱は、コ・ジェネによって有効に使います。というより、燃料電池ははじめから、コ・ジェネ利用が前提の装置だということができます。
  •  さてそれでは、そんな燃料電池の5種類を紹介しておきましょう。まず「燐酸型」と呼ばれるものは、すでに実用化されて市場にも出回っています。電解質に燐酸溶液を用いるのですが、大きさは数十kwから、数百kw。まあ言えば事業所用で、世界では日本の開発が先行しましたが、いまではすでに時代遅れと考えられ、台数が出ないのでコストが下がらない、だからこんどは台数が出ないという状態に陥り、やがて消えざるを得ないでしょう。マイクロ・ガス・タービンが普及し、そのコストが大きく低下してきたのでもう歯が立たない。つぎは「溶融炭酸塩型」といわれる、高温で運転する大規模発電用の燃料電池が、すでに実証段階にあるといわれます。しかしこれも日本の開発が裏目で、現段階では将来性があるとは思われておりません。
  •  そして現在、猛烈に世界の注目を集めているのは「固体高分子型PEMFC」と「固体電解質型SOFC」。それにもう一つ、「直接メタノール型DMFC」といわれる3つの型です。これらはいずれも電解質に固体を用います。固体ですから蒸発の心配がなく、これが液体である前二者にくらべて寿命がぐんと伸びます。同時に移動電源として使うのにもってこいです。自動車のエンジンとしての利用ですね。
  •  そこでまずPEMFCに注目しましょう。PEMというのは Proton Exchange Membrane、 プロトン交換膜、すなわち水素陽イオン交換膜 の略語。FC は Fuel Cell で燃料電池のことです。この膜は、フッ素系の固体高分子膜で、水素を陽イオンと電子に分解して、陽イオンだけを通します。通った陽イオンは酸素と結合して水を生成しますが、相手の電子は膜を通れないので迂回して陽極に流れ、かくて電流が生じます。
  •  PEMFCの開発には、バラードというカナダのベンチャーが早くから世界の先頭を切っており、ここから燃料電池の提供を受けた自動車メーカーのダイムラー・クライスラーと、燃料電池の独自開発をしてきたトヨタが、いま燃料電池車開発競争の先頭で、しのぎを削っています。どちらが先になるかは分かりませんが、来年中には、とにかく市販のバスが世に出ることはまちがいないという情勢です。2002年は、「燃料電池元年」だということばさえ聞かれます。
  •  来年、燃料電池車の登場はかなり騒がれるだろうとは思いますが、しかしこの競争、どちらが先頭を走るにせよ、出てくる製品は、完全な燃料電池車だというわけにいかないという事情は心得ておかなければなりません。実は燃料の水素そのものを積んで走るのではなく、ガソリン、あるいはメタノールを積んで、それを別に載せている「改質器」という器械に通し、そこで水素を得て燃料電池を働かす仕組みがとられているからです。なぜならば、市販車ともなれば、燃料供給のインフラ整備がたいへん重要なのでありますが、いまのところ行くさき先で水素を補給するインフラは、やっとアイスランドやドイツでその構築がはじめられたばかりだからであります。
  •  これだと最初の燃料電池車の「無公害度」は、プリウスなどのハイブリッドカーや、旧来のレシプロ・エンジンを積んだ天然ガス車のレベルで、運輸機関の温暖化対策の一環としては、取り立てて騒ぐことはないと考えられるからであります。しかし、21世紀半ば、さらには22世紀をにらんだSS社会、「太陽・水素化社会」構築の前触れとしての意義は大きいといわなければならないでしょう。私流のことばで言えば、来年、2002年という年は、「燃料電池元年」ならぬ「太陽社会化元年」とでもいうべき年になるのではないかという気もいたします。
  •  燃料電池の残りの二つの型について簡単に触れておきましょう。「燐酸型」「溶融炭酸塩型」が第1世代だとすれば、PEMFCは第2世代で、もう一つの「固体高分子型SOFC」は、第3世代だともみられています。これは電解質にセラミックスを使い、1000℃近い高温で働かせます。PEMFCの運転温度は100℃以下ですから、ここが典型的にちがうところです。このためにコ・ジェネのさいの熱利用の自由度が大きく広がります。PEMでは冷房利用が無理でしたが、これではそれができます。家庭用、自動車用、集中大規模発電用をそれぞれ想定して、開発が進められています。
  •  もう一つは「直接メタノール型DMFC」というものです。これは超小型電源への応用をめざします。2月ほど前であったかと思いますが、モトローラが、メタノールの小さいカートリッジで燃料を供給する携帯電話の試作品を発表したという記事が出ていました。1月くらいは電源がもつといいます。もちろん携帯型のパソコンの電源としても考えられております。これも電解質はPEMFCと同じ、フッ素系の固体高分子膜です。つい数日前、今月10日の朝日の記事でありますが、ソニーが超小型燃料電池市場に参入するというのがでておりました。どうやらこれはフラーレン(有名なサッカーボール型の炭素結晶)を使うとかで、これはDMFCとも、またちがう型のパソコン電源のようです。
  •  だいぶくわしく燃料電池をみてきましたが、まず車で始まる燃料電池利用が、2010年代には、家庭用、事業所用、自動車用、また各種のポータブル電源用として、ブレイクすることは確実とみられています。燃料電池そのものの技術進歩のことももちろんありますが、ゼロ年代の燃料電池自動車の出現をてこにして、水素供給インフラの整備が、大きく進むであろうと考えられるからです。ディーゼル・エンジンから置き換わった事業所用のマイクロ・ガス・タービンも、さらにまったく「音なしの構え」で電気と熱を供給してくれる、この燃料電池に取って替わられていくという趨勢は、まちがいのないところでありましょう。
    (5)小規模発電施設のネット・ワーク
  •  このようなぐあいで、なんだか常識のように思いこまされてきた大規模集中型の電力供給は、2010年代以降、燃料電池の、家庭やオフィス、その他の事業所への爆発的な普及とともに、次第に、構造的に、小規模分散型のシステムへと移行をしていきます。すでに大きく普及をしてきた「太陽パネル」が、(「太陽パネル」についてはあとで触れますが、)みんな電力会社の大規模配電システムに「系統連繋」されていることはすでによくご存じでしょう。家庭発電所が余分に発電したときには、電気は家庭からシステムに流れ、夜や冬のように、自家発だけでは足りないときはシステムから不足の電気が、家庭に流入するというやり方です。各家庭に燃料電池が置かれるようになり、発電スポットが大規模から、次第に小規模に移行しても、いままでに構築された送配電システムはもちろん維持されますし、最大限に利用されるべきです。
  •  ところでこんなことがよくいわれています。「自然エネルギーは電気の質が悪い。太陽光発電は夜にはお手上げだし、冬は効率が悪い。風力発電の風車は風がなければ回らない。こんな気まぐれな発電システムでは、とても高度化している現在の電力需要には応えきれない。やはり原発や大規模火力で発電した、電圧や周波数の安定した良質の電気が必要だ」。しかしこれは20世紀の大規模発電システムをつくってきた守旧派の宣伝です。私たちは、うっかりそんな気にさせられている向きはないでしょうか。
  •  ところが大規模集中型こそ、事故に弱いということはさきに申しました。小規模だと電気の質、つまり電圧や周波数ですね、これが低下したりふらついたりする、質が悪いというのも、ためにする議論です。家庭発電所が普及してくれば、おのずから、それらのマイクロ発電所がネットワークを作るという方向に、事態が進んでいかざるをえません。インターネットのことを考えてみてください。これは何億といった世界中のパソコンが、特段の中央司令部もなしに、たがいにつながりあったネットワークでしょう。各家庭が、電気の受給に関して、同じようなネットワークをつくることは火を見るより明らかなことです。そしてそれが、ますます発達するIT、情報技術によって、オートマティクに管理されます。だから過渡期にこそ、守旧派の言い分のような状態はたしかにいくばくか、起こるかもしれません。しかしその欠陥は、かえって小規模発電スポットのネットワーク形成を促進する動機になるであろうことは明らかです。
  •  このネットワークの完成後は、私たち市民は大きな恩恵を受けることになるでしょう。いま仮に、ある家庭の電源が故障したとしましょう。瞬間的に世界に張り巡らされているネットワークから、ちゃんと規格化された良質の電気が流れ込んできます。そのときだけ家庭は、流れ込んだ電気を買えばよろしい。故障のサインはでますから、あわてずに修理の依頼をすることができます。世界のネットワークができているのですから、いまでもときどき起こる地域の停電などは簡単に克服されます。雷雨の中でも、パソコンの電源を落とさないでもいられます。
  •  病院や、そのほか停電が大敵の事業所も、もうその危険にびくつくことなど考えられもしません。停電のリスクはネットワークが補償してくれます。このネットワークが最大の威力を発揮するのは、おそらく地震や洪水などの災害のときでありましょう。配線の安全さえ確認されれば、電気はあっという間に復旧をいたします。
  •  もちろん世界の全家庭が発電所になるまでには、いろんな理由で、長いときがかかるでしょう。たとえばはじめは経済的な理由から、発電装置をおけない家庭もたくさんあると思われます。そんな家庭を想定して、そこに電力を供給しようとする小規模発電企業の競争が起こることはまちがいありません。電力生協がつくられて、この競争に参入することも大いにありうることです。しかし私はそんな過渡期には、自治体が大きな役割を果たすことになるのではないかという気がいたします。燃料電池を使った自治体の中規模発電ステーションが地域のあちらこちらにつくられ、巨大電力企業に代わって、市民への電力供給義務を担うようになっていくのではないでしょうか。

3 「太陽・水素社会化」に向かって

    (1) 太陽光発電
  •  マイクロ・ガス・タービンと燃料電池のお話しをしてきましたが、エネルギー供給の小規模化のお話をするのなら、すでにみなさんご家庭におもちの方もある太陽パネル、それにそのつぎには風力発電機のことを、棚上げするわけにはいきません。まず太陽パネルをみましょう。これによるマイクロ発電については、藤永さん(環境学校の校長の藤永延代さん)はじめ、みなさん市民共同発電所の建設運動に力を入れておられるわけで、ここで私が、あらためて言わずもがなのことでありましょう。この近江舞子の比較的近く、すこし北でありますが、高島と安曇川のあいだに、私も20万円を拠出してつくった滋賀県では2番目の大地発電所と称する共同発電所があります。毎年5000円ほどの売り上げ電気代を送ってきます。
  •  さて太陽光パネルの生産は、現在、日本が世界に先んじております。シャープだとか、京セラだとか、サンヨーとかの名前が新聞の記事でも目につきますが、1997年にアメリカを追い抜きました。現在のところ生産世界一なのであります。そして住宅メーカーがこれを装備し、積水とか、ミサワとか、ダイワとか、ナショナル等々でありますが、いまや太陽光発電住宅がブーム状態になろうとしています。私はかねてから、屋根瓦を全部「太陽瓦」にしろ、むしろ法律ででも義務づけろと唱えていたのですが、とうとう太陽パネルそのものでできた屋根材が出てきました。昭和シェルとか、キャノンなどがホームページで宣伝しています。、それを屋根全面に葺いた、和久井映見さんの登場するナショナル住宅のコマーシャルを、最近テレビでも見かけるようになりました。ふつうの住宅より2割くらい高いだけのようで、政策的な支援があれば、普及は目前といえるでしょう。
  •  日本の民家等の屋根に載っかっている太陽パネルは、1993年には総出力で2万kwだったのが、99年には21万kwと、6年間で10倍以上になりました。それにつれて発電単価は下がり、同じ期間に1/4ほどになっています。この10日の朝日新聞の記事に、おもしろいのが載りました。「システム技術研究所」というところの所長さんが、累積生産量と設備コストの相関の式を見つけたというのです。それによると、累積生産量が300万kwを超えるあたりで、工事費を含めた設備コストが家庭用電気料金なみに下がる、国の導入目標は2010年に480万kwなので、順調にいけば10年以内に太陽電池のブレイク、すなわち「爆発的普及」がはじまるとしています。冒頭に紹介した「地球温暖化を防止する・・・」には、私はその本格的普及には、さらにコストが1/3くらいに下がる必要があると書きました。あと数年、2005年頃には、ぼつぼつそんなレベルに近づきましょうか。
  •  ともあれここまで、日本の太陽光利用が順調に伸びてきたのは、旧通産省、現在の経済産業省の補助制度が一定の役割を果たしてきたことはたしかであります。設置コストの30%から20%を補助してきたのでありますが、これを2002年度、つまり来年度かぎりで、03年度以降はやめるのだということす。小泉内閣のやかましい構造改革路線の中で、この太陽化への補助は、どんな具合になるのでしょうか。たしかに「いつまでも補助によって業者を甘やかすと、技術の進歩を妨げる」のは事実なのでありましょうが、とりあえずは03年からの補助打ち切りは、一定の普及のブレーキになることが避けられないでしょう。このかねあいは、むずかしいところであります。
    (2) 風力発電
  •  さてつぎは風力発電機。もちろんこれは風車の回転エネルギーを電気エネルギーに変える装置です。風車といいますと、少し前までは、私たちはオランダの農村ののどかな映像を思い浮かべたものであります。オランダという国は、ネーデル・ランドとも別名で呼ばれておりますように、干拓地の多い、国土の海抜が低い国であります。ネーデル・ランドとは、低地という意味です。数百年にわたって、この低地から排水するためのエネルギー供給源として、風車が使われておりました。この雰囲気を味わうためには、ここのすこし北の新旭町に、新旭・風車村という市民公園があります。たしか3基だったと思いますが、懐かしい雰囲気の風車が回っております。
  •  しかし90年代にブーム的急伸長を遂げた現代の風車は、オランダのかつての風車のイメージとはかけ離れた、先進テクノロジーを駆使した発電風車です。ちょっと数字をあげてみましょう。世界全体でこの風力発電装置は1980年には1万kw、1990年には200万kwほどでした。かりに原発1基を100万kwとして、これを物差しにいたしますと、いまから10年前は2基分です。それが昨年、2000年の半ばには1500万kwに達しました。原発15基分です。その間年成長率は、なんと24%だったということになります。2020年には、1.2億kw=原発120基分にはなろうと予測されています。世界全体での話です。
  •  風力利用と、太陽光利用が急伸長したとはいえ、絶対量ではまだまだだといわなければなりません。いま世界には原発が430基動いています。これを100万kw相当に換算すると、350基ほどになります。それに対して、いま風車は15基分だというわけです。太陽パネルにいたっては、まだ1/3基分くらいです。これも世界全体での話です。
  •  風力について、日本は世界の趨勢に立ち後れました。やっとブームが始まったのは2〜3年前からでありましょう。総出力、現在10万kwを少し超えたところ、原発1/10基分ほどにすぎません。私はこの立ち後れは、政府の「原発しがみつき政策」にあると断言してもよかろうと考えております。それでも実は1991年との比をとってみますと、はじめが小さかったものですから、100倍ほどにもなっているんです。日本でもブーム状態だということはまちがいありません。
  •  この風力発電機、現在では小さめの世界標準的なのが、1基で1000kwです。ぼつぼつ2000kwの風車も珍しくなくなってきました。スウェーデンでは、この秋から3500kwのが動き出す予定だそうです。こうなると地上から、ブレードの先端までが、120〜130mほどの高さになる巨大なものです。たぶん5000kwくらいまでは大きくなるだろうと見られています。すでに技術の小規模化の趨勢のことについて述べましたが、もちろんこのように、技術の各部分、部分では、スケール・メリットによるコスト低減の力が作用をしております。当然といえば当然ですが興味のあることです。
  •  「風力発電反対」という運動の中には、「景観が壊れる」という理由とともに、「風のつよい日には、騒音がやかましくて」というのもあったようです。田んぼのカガシの替わりにからからと回っている「PET風車」からの連想でありましょう。発電風車が現れた初期のころはともかく、現在では、これは完全な誤解です。現代の発電風車は、風速まかせでからからと回転速度を速めたりはしません。周波数を安定させる目的もあっていままでのものはブレードの回転を一定速度に保ち、われわれの感覚からは、それこそゆったりと回転していました。風がつよくなると、発電機の前にある種の抵抗を入れて、それで余分のエネルギーを吸収するようにしていました。ちょうど自転車の変速機のようなものだといえばよいろしいでしょう。風が強いということは、ペダルを速くこぐことにあたります。
  •  ところが最新技術の先端を行く風車では、風の強さに応じてブレードの回転速度も素直に速くし、もちろんびゅんびゅん回すわけではありませんから騒音の心配はありませんが、生まれた電気の周波数の方を、インバータで調節するというようになってきたようです。インバータというのは、直流の電気を交流に代え、またその周波数も自由に変えることのできる電気技術の先端の装置です。「インバータ・エアコン」なんとかいって、最新技術のキャッチフレーズのようになっています。このほうが風のエネルギーを固定する効率が、総合的にうんとよくなるのだといいます。
  •  こうした発電風車を、風のつよい地域に数十本から数百本ならべて、大型発電所に匹敵する出力の発電基地に仕立てたものをウィンド・ファームと呼んでいます。日本にも、ある程度本格的といってもよいウィンド・ファームができはじめました。先端を行くのは、北海道の苫前町です。昨年(2000年)の9月に見に行ってきましたが、風車42本、総出力5万3000kwの発電基地ができています。竜飛岬や下北半島、秋田の日本海岸なども有名です。
  •  近いところではめぼしいのが、青山高原にあります。見に行かれた方もあるのではないしょうか。昨年7月の神戸大学の環境学会シンポのさいも話題になりました。これをつくった自治体は三重県の久居市です。現在は4本の風車が尾根にならんでいます。前の市長さんがたいへん熱心で、これを20本に増やす計画がすでに具体的に進行中、ゆくゆくは100本に増やすという意気込みだそうです。ほかに風力発電に熱心な自治体には、パイオニア的存在の山形県立川町、岩手県葛巻町などがあります。これらの自治体は毎年集まって、「全国風サミット」というのをやり、今年はすでにそれが第8回になります。
  •  この近江舞子から身近なところでは、今年7月のはじめから運転をはじめた草津市の「くさつ夢風車」という名前の施設があります。発電そのものが目的というより、草津市の環境政策の象徴としてつくられたもので、むしろ環境教育的な効果をねらっているといってよいでしょう。1本だけですが、風車そのものは本格的なもので出力1500kwのドイツ製。琵琶湖大橋を渡って南へ5kmほどの湖岸にある県立琵琶湖博物館のとなり、草津市の水生植物公園、「みずの森」入り口横で悠然と回っています。ブレードの最高位置は地上130mほどになります。ついこのあいだその下に立ってきましたが、回転音にはまったく気づきませんでした。
    (3) バイオマス発電
  •  バイオマスというのいうのは、「生物起源のエネルギー資源」という意味で使われます。もともと生物学用語で、「ある空間に存在する生物体の質量(重量)の総計」を意味することばでした。エネルギー資源としてのバイオマスの典型的な例は、薪炭を考えていただけばよいでしょう。もちろん、バイオマスは、「現在、あるいはそれとつながった生態系の中にある生物体由来の資源」でなければなりません。それと切り離されて、化石化しているものはだめです。それらは定義の外部であります。
  •  薪炭以外のバイオマスとしては、畜糞、人糞、生ゴミ、食品廃棄物、間伐材、製材チップ、鋸屑、イネ藁・麦藁・サトウキビ殻などの農業残滓、庭木の剪定枝、雑草、栽培植物などなど、枚挙にいとまないほどたくさんあります。そしてなんと、このバイオマスのエネルギー市場は、2010年代の太陽パネルに先駆けて、2000ゼロ年代に、ブレイクすることがまちがいないと、ひとしく関係者には信じられているのです。それだけ、本来は利用されるべくして利用されていないバイオマスが、むしろ廃棄物として、われわれの社会にはあふれているということでありましょう。
  •  さきに述べました「太陽」と「風」は、太陽から地球にやってくる太陽エネルギーを、太陽パネルや風車を用いて直接電気として固定するものです。もちろんこれらは排気ガスとは無縁です。つまり太陽化のための技術だと考える際に、話がたいへん分かりやすい。ところがここで述べまていますバイオマスは、一つにはいままで使われてこなかったわけではない。だからかえって存在が地味であります。しかもこれを燃やせば炭酸ガスと水が出る。煙やすすも出る。「いったいこれは太陽化のための新エネルギーなの?従来型エネルギーじゃあないの?」と考えられる方がおありではないでしょうか。この点を誤解のないように、ちゃんと理解をしておく必要があろうかと思います。
  •  これは、つぎのように考えていただくと分かりやすい。ここ滋賀県の湖西は、ずいぶん開発で荒らされたとはいえ、まだまだ里山がたくさん残っています。私の家もここと同じ志賀町ですが、すぐ裏は、「和迩大塚山古墳」という300年代の終わりごろにつくられた古墳が山頂にある里山で、私にとっては、格好の散歩道になっております。ところがいったんここに足を踏み入れると、その荒れようには驚かされます。手入れをする労働力がないのでしょうね。必然性もないのかも知れません。そこら中は倒木がいっぱい、ときには里山道にも倒れ込んで腐っています。およそ樹というものは、若いときに炭酸ガスを吸い、太陽エネルギーを固定して成長します。しかし寿命を終えたり、台風で倒れたりすると、今度は朽ちて炭酸ガスを放出します。それで森林全体を、何年かにわたって観察すると、炭酸ガスについても、エネルギーについても、ちゃんと収支償っているわけです。そんな平衡状態が自然の生態系というものなのであります。
  •  いま私たちがそのような森林から、間伐材を切り出したり、下草を刈り取ったりしてこれらを燃料に使い、電気を起こしたり、発生する熱を利用したりするとしましょう。燃やせばたしかに炭酸ガスは出ます。しかし森にそれらを放っておいても、やはり腐って同じだけの炭酸ガスは出るのです。つまり生態系での炭酸ガスの循環の中に私たちが割り込んで、そのバイパスから、電気や熱といったエネルギーをもらう、これがバイオマス利用の本質です。自然の収支からすれば、エネルギーをもらっても、もらわずに放置して腐らせても、結果は同じなのです。そして当然この利用によって、化石燃料の使用量を減らすことができますから、全体としてみれば、バイオマスが炭酸ガス排出を削減してくれたことになります。
  •  さきに太陽から来る膨大な量のエネルギーの、わずか1万分の1を、使えるかたちに変形するだけだと申しました。つまり上のようなバイオマスの利用は、風や太陽光の利用と同じく、その「変形利用」の代表的なやり方の一つなのです。
  •  バイオマスは便宜上、含有水分50%以下の乾性バイオマスと、50%以上の湿性バイオマスに分類されています。前者には、木質系(間伐材や木くずなど)と草本系(サトウキビがら、トウモロコシがら、もみ殻等)があります。後者は、鶏糞・畜糞、生ゴミ、食品廃棄物などです。
  •  これらのエネルギー資源としての利用のしかたは、一応前者はそのまま燃やす、後者はメタン発酵をさせ、メタンガスを分離してこれを燃やします。電気と熱を利用するのがふつうです。メタン発酵のあとには、液肥(液体肥料)が残ります。もちろんこれは肥料として土に返します。これが常識的な利用方法ですが、一方で技術革新の先端では、その努力は、乾性のバイオマスをガス化することに向けられています。こうすることによって、エネルギーの利用効率が格段に向上するのです。また乾性バイオマスから、メタノール(メチル・アルコール)をつくる技術も有望です。これは炭酸ガス排出の少ない液体燃料として、ガソリンのかわりに使うことができます。現在では、すでに述べた過渡期の燃料電池の有力な燃料でもあります。
  •  もう一言つけ加えましょう。みなさんのなかには、農業に従事していられる方もおられますし、また団地で庭木の手入れをされる方などは、植物の生産力の巨大さを実感していられるのではないでしょうか。現在は引いた雑草や、剪定枝などは、可燃ゴミとしてただ無意味に、焼却場に直行しているわけでありますが、これらをなんとか利用したいものでありますし、またバイオマス利用が本格的に進めば、今度は休耕田などを利用し、成長の早いバイオマスを積極的に栽培して、炭酸ガス削減に貢献することもできます。バイオマスがもつ可能性は、きわめて大きいのであります。
    (4) 水素化社会へ
  •  「電気はためられない」ということが、昔からいわれてきました。もちろん電気をためるいろいろの工夫が、いままでからなかったわけではありません。蓄電器、電池、蓄電池のたぐいは昔からありますが、なにぶんにも容量が小さすぎます。大規模の設備としては、揚水発電所があります。これは自然を使った蓄電装置にほかなりません。しかし手軽にはつくれない、つくるには莫大な予算がいる、おまけに建設にともなう自然破壊がいまや大問題である。フライ・ホィール(はずみ車)を利用して、電気を回転のエネルギーに変えて保存する、冷熱の形で保存する、超伝導を応用するなど、いろいろの工夫もありますが、総合的に「電気の貯蔵」という観点から見るかぎり、「電気はためられない」というのがむしろ真実でありました。
  •  しかしこの真実は変わろうとしています。電気を水素に変え、これを、気体、あるいは液体、あるいは固体の形で蓄えます。水素として貯蔵された電気は、必要に応じて燃料電池を用い、もとの電気にかえします。電気を水素に変えるには、水の電気分解を行えばよろしい。材料の水は、地球上にふんだんにあります。そして原子ベースでいっても、重量ベースでいっても、水素は宇宙において、もっともたくさん存在している、宇宙進化の根元的な物質です。
  •  つぎの視点からも、水素のことを考えることができるでしょう。現在の文明が必要としているエネルギーは、電気の形のものだけではありません。自動車を考えても明らかなように、気体や液体のエネルギー源はどうしても必要です。太陽や風で起こした電気を水素として蓄えれば、もとの電気にかえさなくても、気体燃料、液体燃料として、そのまま使うことがもちろん可能であります。バイオマスからは、電気を経由する道のほかにも、メタンやメタノールを改質して、水素にするという経路も、もちろん考えられます。どうやら水素は、21世紀以降のエネルギーのかなめの位置を占める存在であるようです。
  •  非常に興味のある、わくわくするようなお話しを紹介しておきましょう。アイスランドという国のことをご存じでしょうか。政治的には15年前、ゴルバチョフとレーガンがこの国の首都レイキャビークで会談し、一触即発の危機下にあった欧州のINF(中距離弾道ミサイル)全廃の合意に道を開いたことで有名になりました。人口27万、北緯64度の高い緯度にある小さい国ですが、漁業が中心のしかも先進国です。識字率は100%、平均寿命も、日本と一二を争う長寿国であります。
  •  そのアイスランドが1999年のはじめ、政府その他の政府機関、ダイムラー・クライスラー、シェル・ハイドロジャン、ノルスク・ハイドロによる100万ドルの合弁事業、アイスランド・ニュー・エナジーを立ち上げました。そうして2030年から2040年のあいだに、完全な水素経済の確立をめざすという政策を正式に決定し、動き出しました。21世紀半ばを待たず、自動車と漁船の燃料は、全部水素だけになり、完全に化石燃料とはおさらばします。
  •  もっともアイスランドはエネルギー的にはたいへん恵まれた国です。使われているエネルギーのうちで、地熱と水力資源の割合が70%を占めるという状況にあります。このことと、小国であるということのために、たいへんやり易いというのは事実なのでありますが、それでもなお、世界の先頭を切る水素化社会構築のモデル・ケースとして、世界の注目を集める存在になりました。
  •  アイスランドにかぎらず、ドイツなどもやがて来るべき水素化社会をにらんで、ぼつぼつ水素供給のインフラ整備が進められようとしています。バスやバンへの水素供給ステーションが、ミュンヘン空港や、ハンブルグには出現しはじめており、ハンブルグでは、アイスランドからの水素の輸入が計画されているということです。

4 まとめ 〜 そして21世紀の展望

  •  さて、長々と話してまいりました。それでは結びです。まずお話ししたことを簡単に要約しましょう。
  •  第1節では、1万年つづいた「太陽文明」のあとにやってきた「化石燃料文明」と「原子力文明」、これらはやがてまちがいなく「太陽文明」に回帰する。「化石燃料文明」と「原子力文明」は、二つの「太陽文明」の狭間に咲いたあだ花にすぎないという、かねてからの主張の要点を、再度レビューさせていただきました。
  •  第2節では、お話しの発想を変え、20世紀を風靡した大規模集中型の発電、送配電システムが、時代遅れになろうとしている。21世紀、かならず小規模分散型のシステムに移行するという見通しをいたしました。あの厄介者の自動車が、そのことを示唆しているということも申しました。発電技術の革新が、市場経済が風靡する中で、かならずそうなることを強いるであろうということであります。21世紀には、世界中にできた無数のマイクロ発電所がネットワークをつくって、第二次太陽文明の中核になるであろうと考えられます。
  •  ここで重要なことは、最近立命館大学の和田武さんが、その主張のトーンを高めておりますように、巨大発送電企業に、自らの首根っこを、押さえられていた20世紀型の文明が、小規模分散型エネルギーシステムの浸透とともに、市民、NGO、自治体が主導権を握る22世紀型文明へと、これからの100年、つまり今年から始まった21世紀を通して、急速に変質していくであろうということであります。
  •  第3節では、太陽エネルギーを固定する3つの技術、太陽パネル、風力発電システム、バイオ技術の今後の見通しについて概説をいたしました。そして、水素をコントロールする技術の発達が、これらに組み合わさります。これに第2節に述べました燃料電池を加えて、「太陽化社会」、もう少しくわしくいえば「太陽・水素化社会」を支える5つの主役が、すでに、「理論の段階」でも、「技術の段階」でも、さらには部分的には経済の問題でさえもなく、もっぱら「政策の段階」といえるところまで来ている事情をお話し申し上げました。
  •  そしていよいよ結びです。「再生可能エネルギーの将来」、つまりは「太陽化社会への展望」をまとめておきましょう。すでにいくつかの有力な予測がなされるようになっています。そしてそれらすべて、21世紀半ばまでに、この趨勢が大きく進展するであろうことを疑うものはありません。
  •  まずあの石油メジャーの一つ、シェル・グループの予測を紹介しましょう。「再生可能エネルギーの市場進出は、はじめニッチ市場から始まり、やがて急速に伸長をする。そして2020年には、従来型エネルギーと完全に競争できるまでに育つだろう。太陽電池のコストは著しく低下し、途上国は2020年代の10年間に、積極的に再生可能エネルギーに転換する。そして2060年には、世界のエネルギー源の30%が水力をのぞいた自然エネルギーになる。OECD諸国にかぎれば、すでに2020年に20%」というものです。
  •  ニッチというのはお分かりでしょうか。ご承知の方もおられると思いますが、ニッチとは「隙間」「適所」という意味です。ニッチ産業の典型的な例としては、宅配便とか、写真現像の取り次ぎサービスなどが挙げられるでしょう。それはまず既存の異なる市場の「隙間」に発生し、その未来的な性格のために、そこから急速に成長してやがて確固とした存在を主張するにいたる。そんな産業のことです。そして再生可能エネルギー産業は、その典型的な性格を備えているというのです。
  •  そしてシェルは、すでにこのシナリオをもとに、基幹事業として新しい会社をつくって巨額の投資をし、ヨーロッパ、南アメリカ、中東、アフリカ、アジア・太平洋の諸地域で、太陽、バイオマス、風力エネルギーのプロジェクトを大々的に開始しています。
  •  別の予測、こんどは世界エネルギー評議会(WEC)のシナリオです。世界における再生可能エネルギーのシェアが、2050年には40%、2100年には80%になるであろうと予測しています。そして2050年のシェア40%のうちの2/3は、途上国のそれであるという見通しです。
  •  少し異なる視野からの知見として、ストックホルム環境研究所(SEI)は、「再生可能エネルギーのシェア25%」を実現するには、現在の技術水準ですでに十分であり、新しい技術開発に期待するまでもない、したがって転換の際の経済への悪影響などはありえない。いまその実現を阻むものがあるとすれば、それは制度的・政治的な制約であると断言をしています。そして再生可能エネルギーの利用促進は、経済開発と雇用促進を助けるとも結論づけています。
  •  いまロイヤル・ダッチ・シェルの話をいたしましたが、石油企業ばかりではなく、電気機械の巨大企業の中にも、はっきりとした路線転換をするところが現れはじめました。これもシェルと同じくヨーロッパ系の企業でありますが、アセア・ブラウン・ボベリ(ABB)。スイスに本拠をもつ巨大企業です。アメリカ・GE、ドイツ・シーメンス、日本・三菱重工とならぶ、世界の四大火力発電プラントメーカーの一つです。そのABBが、2000年の3月、大型火力発電部門をイギリス企業に売却、5月には分散型電源へと、事業領域を転換すると発表しました。当面力を入れるのは風力発電です。今年秋、まもなく動くスウェーデンの3500kwの風車は、いまはこの転換の象徴にようになっています。これは海上にこの風車を60基ほどならべ、総計20万kwのウィンド・ファームに仕立てるという計画の出発点です。
  •  ABBについては最近、神戸大学の後藤隆雄さんから、興味ある話を聞きました。ABBの日本法人から招かれて、社長以下、会社幹部の面々が居並ぶ前で、一席ぶってきたというのです。みんな彼の言い分を真剣に聞いてくれたし、社長の考えも、21世紀の太陽社会化の進展を見越した、きわめてまともなものであったそうであります。
  •  このように、現状ではまだまだ世界の未来に対して大きい影響力をもつ巨大企業が変わりはじめました。ブッシュを操っているような、時代錯誤のエネルギー企業ばかりではありません。21世紀、22世紀の「新しい世界」、「新しい文明」づくりの本命と目される市民、NGO、自治体も、もはや、ぼやぼやしているわけにはいかないでしょう。決意を新たにして前進しなければならないと思います。
  •  ご静聴、ありがとうございました。

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