参宮鉄道株式会社から気付いたこと

参宮鉄道沿線案内図 ←明治38(1905)年頃の状況です

T、参宮鉄道最初の機関車?

明治26(1893)年12月津・宮川間38.2qが開業した当初は、自社所有の機関車が1両も保有していなかった。それを知ったのは、鉄道局刊行の「鉄道局年報26年度」の私設鉄道会社の二六年度末車両現数表に機関車・客車・貨車数表示の中で参宮鉄道の欄は空白になっている。、関西鉄道津線として亀山・津間を同24年11月4日開業している。参宮鉄道は同22(1888)年8月免許を申請し、11月仮免許取得してから開業までに沿道から苦情や建設中止請願がありようやく起工したのが4年後のこととなる。機関車を注文したのは、1893年英国Nasmyh,Wilson会社に第1回目に1B-n2tタイプ1両(製番449)次いで同タイプ2両(製番452。453)を契約している。価格面で問題があり遅れたと考えられる。到着は翌年になり開業に必要な機関車の手当に追われる。
関西鉄道線と接続しているので同社から借用が一番と思うがどういう理由か借りていません。
関西鉄道は同21(1888)年開業時から同23年まで延べ10両(内2両は工事用)のDubs製を増備しているが以降28(1895)年までは変化なしの状態でした。参宮としては関西鉄道3形(クラスネーム池月T)3〜8号が1B-n2tタイプで希望したと思う。しかし同社は草津・四日市及び亀山分岐津間が営業中で、名古屋に向けて工事を進めている最中で在籍機関車10両では他車に貸す余裕もなかった。


U、借用したのは山陽鉄道からでした。

当時の山陽鉄道機関車事情は次のようでした。明治21(1888)年12月明石・姫時間を開業し同26年頃には神戸・三原間夜間急行列車が走っている。初代社長中上川彦次郎の積極策が同23年からの金融関連等の不況で経営に困難を生じてくる。抜本的な社内改革をする中で建設資金確保のため現在27両保有する英国製機関車の約45%を売却することとした。同25年北海道炭鉱鉄道・甲武鉄道・筑豊鉄道・鉄道局に売却している。
丁度この事情を耳にした参宮鉄道が借用(山陽は売却を打診したが既に注文済みで購入は断る)を希望した。当時の両社の役員で関係深人物は、今村清之助ですが誰が橋渡しをしたのかわかりません。

V、借りた機関車はどのような種類ですか?

売却しないで残した機関車は、1・3・5〜6(Vulcan Foundry製1B1-n2t)の4両及び10・15・16・19・21〜23(Neilson製2B-n2)の7両及び20〜23(Beyer Peacock製2B-n2)の4両と15両が在籍していた。ここで20〜23号の番号が2重なのに気が付かれたのでは、明治23(1890)年10両をBeyer Peacockに注文し先行して6両が完成している。丁度売却が終了し欠番が多く発生した時期で改番中である。、本来なら28〜とすべきところ整理され上記のようになる。
参宮鉄道は、この中より選定したのが、製造会社は相違するが導入を計画している1B1-n2tタイプを2両希望した。回送方法はわからないが兵庫−大阪−関西鉄道草津−柘植−亀山−津経由と推定する。借用終了後も同じ経路だろう。

山陽鉄道と参宮鉄道機関車比較表
参宮鉄道1形 1〜4・6号 Nasmyh,Wilson会社1894製 1B1-n2t
参宮1形と同型写真

シリンダー直径・行程365×508mm 動輪直径1321mm 罐圧力9.8atm 火格子面積1.1m 伝熱面積67.3
平方メートル 動輪上重量19.6ton 整備重量34.0ton 積載重量 水 4.55ton 石炭 1.14ton 引張力4060kg

山陽鉄道1形 1・3・5〜6号 Vulcan Foundry会社1894年製 1B1-n2t
山陽1形と同型写真

シリンダー直径・行程365×508mm 動輪直径1321mm 罐圧力8.4atm 火格子面積1.1m 伝熱面積67.3
平方メートル 動輪上重量20.4ton 整備重量35.8ton 積載重量 水 4.41ton 石炭 1.12ton 引張力3480kg

上の表をのようにほとんど変わらず参宮鉄道1形2両到着までの間客車等を引っ張っていたことになる。このタイプは人気が高く延べ270両が作られた。Nasmyh,Wilson会社だけでは間に合わずVulcan FoundryやDubsにも同系製造依頼している。性能や外観では製造会社だけでは区別がつかず運転にも違和感がなかったと思われる。