![]()
当分の間は、雑談室に解放 ◆図面をクリックするとPDFにて表示します
| T | 近鉄名古屋線伊勢中川・江戸橋間の不思議な変遷 |
| 皆さんは、この区間を何気なく通過しています。しかし歴史的に管見すると複雑な経緯に驚きます。 |
■ 同区間概要史(先ずこの区間出現以前の背景を含めて)
| 昭和初期略図 | ←伊勢電気鉄道により桑名・四日市・津・松坂・大神宮前間が昭和5年12月全通 |
| している。他方参宮急行電鉄により宇治山田まで、大軌桜井線終点桜井駅から工事を始めていた。 | |
| この前年同社独自の路線で名古屋方面に路線を進めていた。同4年6月25日一志郡戸木村を分岐して | |
| 桑名郡大山田村間鉄道施設免許を取得した。しかしこの経路に対し久居住民から反対の陳情がある。 | |
| この頃に中勢鉄道が絡んでくる。参宮急行電鉄工事に伴う材料輸送に応じるため無蓋貨車増備まで | |
| 協力する程親密な関係で、つまり株式の大多数取得で傍系会社でもある。中勢鉄道は久居停車場から | |
| 参急中川に連絡すべく電気鉄道(軌間1435o)敷設免許を同3年8月7日免許を取得し翌年5月工事に | |
| 着手した。内容的には762oの会社が一部区間に1435oを敷設する意味は何か? | |
| 同年11月当区間の地方鉄道免許権等を参宮急行電鉄へ譲渡して、同社桑名線の一部となる。 | |
| この行動は、先に免許を得た戸木村・桑名間のうち同5年2月起点を久居町に変更している。参急中川 | |
| ・久居間同5年5月18日松坂までと同日、同時に営業開始する。翌年7月4日津新町まで延長し更に7年 | |
| 4月3日津駅に延長開業した。大きな出来事は同11年9月15日伊勢電気鉄道の合併を実施したこと。 | |
| つまり同社江戸橋駅に接続し名古屋方面に早やかに延長が可能となる。同13年6月20日津・江戸橋間 | |
| 延長(広軌で開業)で乗り換えが可能となるが軌間相違(伊勢電気鉄道は狭軌)解決はこれからの課題 | |
| となる。 | |
■ 同区間前編史(この接続地点近辺の変遷)
| 伊勢線廃止直前の中川・江戸橋近辺図 | ←PDFで見てください | |||||
| 先に触れたように参宮急行電鉄津支線が鉄道省参宮線津駅まで開通した。これより先伊勢電鉄 | ||||||
高田本山から路線併用で名古屋方面に進める案がある。桑名から先は、伊勢電独自で名古屋延長を
|
||||||
| 前述の併用軌道案が消滅し、5件もある事案の内から津市内が有力となり立地条件等考慮して伊勢電 | ||||||
| 江戸橋に決定した。当駅は、片ホームの簡素な駅である。同13年6月参急津線が延長され、構内を | ||||||
| 改造された大連絡駅の江戸橋駅まで開通した。伊勢線との接続により長躯大阪・名古屋間が結ばれ | ||||||
| た。余談になるが伊勢電時代に、津・宇治山田間が併走区間で一時期廃線の計画案も出たが最終的 | ||||||
| には松坂・大神宮間に短縮変更したが反対運動となり昭和10年9月頃廃案となり立ち消えている。 | ||||||
| ■ 同区間参宮急行電鉄時代史(参急中川・江戸橋間の変遷) | ||||||
| 参急広軌江戸橋駅図 | ←昭和13年6月20日開業の頃 | |||||
| 昭和12年8月27日必要の無くなった江戸橋・桑名間の敷設免許を返納してる。この頃の運行系統は、 | ||||||
| 大軌上本町・宇治山田間に直通急行を、一時間毎に一日3本上本町・津間直通急行及び宇治山田・ | ||||||
| 津間に区間車を走らせている。しかし大阪からの電車は参急中川駅で単行としてスイッチバックにて | ||||||
| 江戸橋に向かう運行形態が不便である。そこで昭和13年12月6日一晩で狭軌に変更し名古屋方面 | ||||||
| から参急中川まで直通させた。 | ||||||
| 参急狭軌化後江戸橋駅配線図 | ←昭和13年12月6日竣工時の状況 | |||||
| ■ 同区間広軌→狭軌改築詳細史(昭和13年12月7日から同34年11月20日) | ||||||
| 参宮急行電鉄が狭軌化した区間は、18.4qですが一晩に全線施工したのは画期的なことです。 | ||||||
| 1435o軌条を1067oに変更するため両側軌条をそれぞれ184o内側に寄せる方法をとる。その為に | ||||||
| 先月11月8日から12月5日にかけて内側に前もって犬釘を枕木2本置きに準備する。本作業日時は | ||||||
| 翌日の最終電車通過した直後の午後11時から開始した。 | ||||||
| 中川駅内保線事務所に本部を設置し、総数900人の工手、人夫、救護班、炊出班、写真班まで動員 | ||||||
| し3工区に分けて24班が各800メートルを担当し参急社員の他大阪電気軌道・大和鉄道・養老電気 | ||||||
| 鉄道から応援を迎え計画指示通り順調に進め一番の難関の分岐線、橋梁部分もこなし、翌朝午前 | ||||||
| 5時に完了し試運転電車を走らせ問題のないことを確認し一番電車から営業を始めた。乗客に | ||||||
| してみれば名古屋方面から江戸橋駅を通過し伊勢中川駅まで乗り換え無しがスムースとなる。 | ||||||
| しかし軌間の相違は、近鉄後も最大の目標は、直通乗り換え無しで大阪・名古屋間を走ることである。 | ||||||
| ■ 同区間狭軌→広軌再改造(昭和34年11月20日以降) | ||||||
| 近畿日本鉄道江戸橋駅狭軌時代配線図 | ←昭和34年11月頃の状態を示す | |||||
| 元は大正期創業の路線で都市間高速鉄道としてはネックが多く絶えず改良を加えて近代化してきた。 | ||||||
| 江戸橋・旧逆川分岐の短絡・複線化を昭和30年7月15日完成した。この頃より広軌化の構想があり | ||||||
| その準備も進めていたが最大の難関は、木曽川、揖斐・長良川橋梁を広軌用橋梁に架設する為に | ||||||
| 同32年7月改良事務所を設置し鋭意架設工事を先行させた。近鉄開業50周年の年、同35年2月広軌 | ||||||
| 化完成を予定していたが同34年9月26日伊勢湾台風に襲われ名古屋線は大打撃を受けた。 | ||||||
| しかし復旧工事に際して前倒しで広軌化も一緒に施工することにした。先の狭軌化と比較して困難さは | ||||||
| 相当で、延長78.8qを10工区に分け延べ9日を費やし昭和34年11月27日完成させた。 | ||||||
| 江戸橋駅は同年11月20〜21日に亘り本線と伊勢線(狭軌)を分離する配線工事を完成し再び昔に戻 | ||||||
| ってしまい歴史の皮肉である。この伊勢線江戸橋・新松坂間20.7qも同36年1月22日寂しく消えた。 | ||||||
| 近鉄江戸橋駅名古屋線・伊勢線分離配線図 | ←昭和34年11月22日から同36年1月22日 | |||||
| 大阪方面から名古屋線に乗り入れる場合参宮急行電鉄時代と同様スイッチバックの状況が残りその | ||||||
| 解決策として、伊勢中川駅構内に短路線を設けたのが同36年3月26日で、名阪直行特急が直通にて | ||||||
| 走るようになり今日に至っている。以上が伊勢中川・江戸橋間の変遷です。 | ||||||
| 近鉄伊勢中川駅現在の配線図 | ||||||
| 下の両図面はPDFで見て欲しい。 | ||||||
| 近畿日本鉄道伊勢中川駅広軌単線時代 | 近鉄伊勢中川駅平成17年頃配線図 | |||||
| 伊勢中川駅は、開業当初から地元の駅というより大阪・名古屋・伊勢方面乗り換え中継駅として存在してきました。大阪線青山隧道複線改築で単線の名張・伊勢中川間が念願の解消と名古屋線複線化、中川短路線により駅を通らず名阪間直通している。駅周辺も田圃風景から再開発が進みマンションや銀行・商店が建ち並び平成16年1月から駅構内のホーム増設、駅舎改築し近代的な駅となる。最後に最近の名古屋線江戸橋駅構内配線図を下記に掲載して第1回談話室を解散する。 | ||||||
| 近畿日本鉄道名古屋線江戸橋駅平成17年頃配線図 | ||||||