宮沢賢治 パート2

 

 宇多田ヒカルの好きな作家の中の一人に宮沢賢治の名があった。

さすが、ヒッキ−だと思った。今回は、that's 宮沢chanの第2弾を堂々と製作。

 

 宮沢ワールドへどうぞ。

 

 

注文の多い料理店』の序文

 

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、

きれいにすきとおった風をたべ、

桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。

またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、

いちばんすばらしいびろうどや羅紗(ラシャ)や、宝石いりのきものに、

かわっているのをたびたび見ました。

わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。

これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、

虹(ニジ)や月あかりからもらってきたのです。

ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、

十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと

、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。

ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、

わたくしはそのとおり 書いたまでです。

ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょ うし、

ただそれっきりのところもあるでしょうが、

わたくしには、そのみわけがよくつきません。

なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、

そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。

けれども、わたくしは、

これらのちいさなものがたりの幾きれかが、 おしまい、

あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、

どんなにねがうかわかりません。

 

大正十二年十二月二十日

宮 沢 賢 治

 

  私がこの序文を見たのが高校のとき、その当時読んだのは、「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風を

たべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」までだった。そのとき、この序文を見て、なんてうつくしい詩なんだろうと思った。そして、

私が宮沢賢治を好きになった初めだった。最近になって、序文の続きを読むことがあって、さらに、感動。宮沢賢治の気持ちとその世界が、ここに

現れていて、ほんとうに、すきとおった気持ちになりました。

 「はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗(ラシャ)や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび

見ました」 

 何が一番きれいでうつくしいのか、サンテクジュペリの「星の王子さま」が言ってたように、心の目で見なくちゃ、何も分からない。大事なものは、目

に見えないと言うことでしょうか。それが、見えたとき本当の美しさを見ることができるのだと思います。

 

BACK