柿の大豊作
 親指よりちょっと大きいくらいのヤマガキ。毎年よくできるが、今年も鈴なりになった。お花の素材にするのに人気がある。惜しげなく枝を切り落として差し上げている。  フユガキなど生食用の柿。これまでそれほどでもなかったが、隔年結果の様相を呈してきて、昨年は不作、今年は大豊作である。たくさんなると小鳥たちもけっこう永い間かかって食べられる。柿の豊作の年は越冬が楽だろう。
 干し柿用の渋柿。これはたくさんなると小粒になるが、今年は近年になくたくさんなった。あまりなった年はそんなに干し柿にしないのだが、今年はほとんど全部剥いてしまった。  南側にぶら下げていったのだが、この面ではつるしきれないのでもっとたくさん南西側に干した。あまり早く皮を剥いて干すと、カビが来ることがある。今年は11月半ばまで待って加工した。
 日本人と柿は、きっと永い付き合いだったのだろう。ヨーロッパでも「カキ」と呼ばれているとか。スペインのアルハンブラの宮殿にある柿は、かつて伊達藩の使節がローマに行く途中,持って行った干し柿を食べて種を残したのではないかと思う。どうも串柿にするような貧弱な柿である。意識して植えるのなら、美味しい柿の種類はたくさんある。
 田舎に疎開してひもじかった頃、もちろん日本中が飢えていたのだが、ふんだんにある柿が熟す頃は、まさに天高く馬肥ゆる秋であった。そして今のように農作物を盗むなど許さないほど、村中に人の目が行き渡っていたけれども、田畑に植えてある柿の熟柿は、誰がとってもいいというルールだった。
 当時は甘いものにも飢えていた。干し柿で甘味を得ようとして、カキモチにも入れてみた。みぞれが降り始める頃、稲刈りの終わった農家は毎日干し柿つくりだった。そのたくさんの剥いた皮は、冬の間の子供のおやつになった。大きな美濃柿の熟柿は、ハッタイ粉をまぶして、代用食として食べた。正月には「年とりがき」といって、真っ白に粉を吹いた大きな甘く柔らかいつるしガキが一個お膳に付いた。
 柿の木の寿命は永い。子供の頃から親しんだ思い出があるから、たくさんの種類の柿の木を植えてしまった。渋柿は私が畑を買う前から植えられていた。生食の柿は葉が落ちてしまう頃が一番美味しい。ふんだんに甘味のお菓子が手に入る今、他のものにはない干し柿の自然な甘さが、郷愁とともに美味しく感じられる。
 秋の風物詩としての柿が、今年は大豊作だ。