キクイモの思惑

 自耕園の畑を見回していて、こいつが時とすれば100万円くらい楽に稼げるのでは、と思うときがある。突然何かのきっかけでブームが起こり、みんなが求めはじめ値段も上がり、それでもほしい人が絶えないようなことが発生することがある。
 たとえばアマチャヅルだったり、クコだったり、カンノンチクのような鉢物だったり、普段はあまり気にとめないようなものだ。それが突然求める人が増えて、いくらでも売れるようになる。みんなの関心を集めたり、伝播してゆくのは、「くちさけ女」や「トイレの花子さん」のようなうわさし同じなのだろうが、農作物やぺットとなると、増やしたり育てるのに時間がかかる。
 そのときふんだんに供給できれば畑の厄介者がすばらしい金になるはずだ。一攫千金を夢見て、いや、企んでうまくいったらひと財産できるかもしれない。私の畑のコンフリーなどまさにそんな名残で、小指くらいな根の切れ端5本をゴムバンドで束ねたのが500円だった。今ブームなら100万くらいの出荷量があるというわけだ。それにねづみ講と同じように、上位のものが得をする。みんなが栽培して増やそうとするとき、種の供給者は、より高く売ることができるのだ。
 もう30年以上前、鶯の糞に人気が出て、そのつがいが何万円もして、養蚕の大きな建物いっぱいに鶯を飼っていた仲間がある。また毛皮ブームのときのフィンチやヌートリアなど、先に供給した人はいいが、何の値打ちもないとわかるころ、全財産をつぎ込んでいたりしたら、夜逃げをしなければならない。ブームの場合はバブルと一緒で、儲かるかどうかは、スリルがある。
 もう50年近く前、進取の気概にあふれていた叔父は、誰よりも早く薄荷を栽培していた。その苗はすごく高かったが、二年くらい植え広げて増やせば、稲の何倍もの収入になるし、よしんば止めるのなら根が何百倍にも売れる。指導している仲買人は遠くから自転車でやってきた時代だった。製油の方法も見学し、製品のペパーミントは、飛ぶように高く売れるような味や香りの夢のあるきれいな緑色をしていた。学生のとき招集されて戦争に行ったという、才気あふれた仲買人は、能弁であった。
 だが2年ほどたって畑いっぱいに背丈ほど育ったころ、指導した仲買人の消息はわからなくなっていた。各家に電話などない時代だから、探しようもなかった。今の自耕園で雑草のようにはびこる薄荷を見ていると、幼い日の家族の失望がはかなく思い出される。
 そんなことがちらちら浮かぶのが、このキクイモである。畑に作ったらむちゃくちゃにできた。食ってもうまくないが、友達夫婦が持ち帰って味噌漬けにして送ってくれたのが結構いける。しかし畝に作るほどでもないと思って畑の周りに捨てたらめちゃに広がった。私も千円近く出して種を買ったのだが、それにしても売った奴を恨みたくなるような繁殖力である。
 ところが血糖値を下げる働きをするとか、なかなか人気者なのだ。愛農会の田辺君など、うまく普及できないかと考えている。ためしに「はらぺこあおむし」に出荷したら買い手がついた。すごいブームになるかもしれないので、もし希望があれば種を売りますよ。
 それに橋山美知子さんの手にかかると、結構うまくてんぷらやら煮物に調理されている。
 東北を旅していたとき野生化しているようだったが、ブームを作ると供給も案外可能かもしれない。
 

キクイモの花
とにかく叢生が旺盛なのである。茗荷の中でも押しのけて広がってゆく。花も菊のようなのでこれから名づけられたようだ。備荒植物として導入したらしいから、今ではまだ帰化植物の旺盛さを持っているのだろう。
キクイモ
キクイモの収穫
散らばっている棒のように見えるのはキクイモの枯れた軸。空洞で軽いが、まっすぐで結構太い。下のほうに転がっているのが芋だが、二層三層にも土の中で重なっている。



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