肩の激痛

 今年の正月過ぎから、右肩がちょっと痛かった。寝違いのような感じでしたが、そんなにひどい痛みではありませんでした。使っているうちに良くなるだろうと思って、気にせずに剪定に励んでいました。
 ところがだんだん痛みが増してきて、肩がこわばり、右腕がしびれ、右指先まで痛みが走るようになって、ただ事ではないと感じ始めたのです。車のハンドルも握るのが苦痛になり、パソコンのマウスも使えなくなってきて、いろいろ医者にかかることになりました。
 当然整形外科になるのですが、首のレントゲンでも例のとうり、神経を圧迫しているので仕方がないとのことでした。MR検査もやはり年齢から来る障害で、一般的なものだということです。それにしてもまだこれからの人生の長さを考えると、そうですかと納得できません。痛いから病院に来てるのですから、何とか直してくださいとお願いして、まだ治療中です。
 ただ、神経を鎮める薬・痛みを和らげる薬・炎症を治す薬・それらを飲むと傷む胃を守る薬、をもらって飲んでいます。さらに神経ブロック療法を麻酔科で受けて、やっと少しマウスをもてる程度に回復してきました。筋肉は使うほど強化されて鍛えられるし、頭も使えば良くなると思っていたのが、間違いだったようです。
 それにしても祖父は60歳を過ぎてから、1.5ヘクタールの山田を耕し、祖母と二人で自作農を営んでいました。牛を飼い、草を刈り、田を耕すだけではなく、自給自足で衣食住をまかなっていたのです。いまさらながらにその逞しさに、敬意を感じるとともに、自分のふがいなさを悔やんでいます。
 剪定は、はさみを使うのも、鋸を使うのも、その落とした枝を片付ける鉈の仕事も、すべて右腕です。これが積み重なって、蓄積されたのでしょう。
 そんなわけでホームページもすっかり放置しておりました。少しづつ書き足して行きますのでよろしく。

選定して集めた果樹などの枝




畑に溝を掘って、焼却しているところ
 それにしても1年間にどのくらい枝の生産をしているのだろう。昔はこの枝のすべてがエネルギーとして利用されていた。囲炉裏で冬じゅう絶えることなく燃やしていた。はじめは細い燃えやすいものを使い、やがて太い木を何本か燃やし続ける。
 煮炊きをするかまどもそうだし、風呂も手あぶりの焚き火もそうだ。すべてをエネルギーとして利用した後、その灰を田畑に還元した。薪や柴のない地方は、豆ガラなども用いて炭や薪を買うことになる。二宮金次郎のように背負って、すべての家庭に配られたのだ。それが今はごみとして捨てられている。その代わりに化石資源をふんだんに利用している。もう戻ることのない構造的変化を社会は起こしてしまったのだ。
 自分の肩の痛みがいくらか直ってくるとともに、この労働がひとつの循環のためであったら、せめて我慢できるのではないかと思いながら作業を続けている。今から50年昔なら、この作業のすべては家庭のエネルギーで、これが化石資源に取って代わられたところから今の環境のゆきづまりが発生しだした。
 「おじいさんは山へ柴刈りに」行っていた時代は、仮におじいさんが寝込んでも何年分かのエネルギーは蓄えられていた。化石資源のエネルギーは、建物や住環境を高層化し集積し、里山を開発して住宅団地とし、さらに里山の生産するものを不要とした。私は祖父が、あんなにタフで腕を振るい続けた裏には、すべての家庭エネルギーをまかない続けていたからだろうと思う。
 これらの考察については「人類滅亡の遅延策」−−競争と化石資源に敗れた辺境の再興−−−に詳しく書いたつもりだ。近くの書店にない場合は、03−3817−0711番に電話して、ぜひ取り寄せて読んでいただきたい。