第二十六話
仔狸()の鳴けば はっと振り向く 己かな

  病める狸が現れたのは、今年(14年)の三月のことである.背中の中央のやや左寄りの一部分が、白っぽく映って見えるのだ.(第二十五話に病める放浪タヌキとして写真掲載)
暗視カメラで白っぽく見えるということは、その患部は脱毛しているものと推察された.きっと疥癬症に罹っているに違いないと直感的に考えた.
  その日に限って、短時間の内に二回、三回と現れた.出現はその四、五日前からであるが、当ても無くうろうろしている放浪狸のように思えた.「暫らく様子を見てから、ホームドクターに相談してみよう・・・」と考えていたところ、結局その日以来現れることは無かった.確認の写真も撮れぬままに、それっきりですっかり忘れていた.


仮設の床下から発見された狸の死骸.周辺の落ち葉は既に払い除けている.
  四ヶ月経った七月、裏庭を整理整頓する為、一坪ばかりの仮設の床をめくり上げた.

剥き出しの地膚は背中の部分だけであったが落ち葉と共に簡単に抜け落ちた
反対側の床を持ち上げた妻が「・・・何かの死骸が!!!」と声を発した.裏山下ろしの風で運ばれてきた落ち葉に埋もれて、背中らしき部分だけが目に映った.毛の抜け落ちた剥き出しの地膚は灰色、いわゆるネズミ色だった.剥き出しの地膚・脱毛・疥癬症・放浪狸・・・.忽ち先日の病める放浪狸の振る舞いが頭の中でさ迷い始めた.
  いろいろと思いを巡らせながら、落ち葉を掻き分けていった.落ち葉のジュウタンを敷き詰めた上で、落ち葉を被りたいだけ被って、寝ているといった感じだった.全身が見えてきた

うつ伏せに、鼻先を長々と伸ばせて安らかに休んでいるかのように思えた.殆ど骨と皮だけ・・・と言える状態になっていた.
ミイラ化していた.長い鼻先がネズミを連想させる.「ウン! ネズミ? チュウ太?・・・」
  そう言えば初代ポン太ポン子の仔に、チュウ太というのがいたのを思い出した.ポン太一家がわが家を訪れるようになったのは、十一年十一月(タヌキ家族出没状況一覧表・第十五話参照)であった.その翌月にポン太ポン子に連れだってきたチュウ太チョロ子と初対面している.そしてその次の月、十二年一月にはロン太との初対面と続く.あの"親仔の対面"という感動的な名場面(第五話)を演じてくれたロン太である.


在りし日のポン太ポン子.チュウ太チョロ子の親タヌキである.
  この冬期に親ダヌキに連れ立って現れたということは、チュウ太チョロ子共に雌ダヌキと理解できる.

在りし日のチュウ太.結果的には雌タヌキと判った.チュウ子と命名すべきであった.
何故ならば、前年の春に生まれ秋に成人(成狸?)した雌ダヌキは、子育てのノウハウを学ぶ為、親ダヌキと共に暮らし越冬するからである.確かにチョロ子は、今春ハントしたベターハーフ・チョロ助との間に、四匹の仔ダヌキ(チョロ松チョロ太チョロ作チョロ呂)を産んだばかりである.このところその仔ダヌキ達が、わが能舞台を賑わせている.

  "仔狸(
)の鳴けば はっと振り向く 己かな"

  このことからチュウ太も雌ダヌキであったと断言してよいようだ.同様にロン太は雄ダヌキであったと断定できる.

既に親ダヌキ(タン吉タン子)の元を離れていたからである.彼等(チュウ太チョロ子ロン太)との付き合いは約半年間であった.
彼等が来なくなって更に半年間(この間にタン吉一家ツン太一家と続いた)が経った後に、チョロ子がチョロ助を伴い再び現れた.そして現在に至っているわけである.
  当時の仔ダヌキ達が首や尻尾の周りに、どういう訳か手負いの傷の多かったことを思い起こして頂きたい(第二話、第十一話).チョロ子は右脚を宙に浮かして、三本脚でやって来たことがあった.チュウ太の傷は噛み切り傷とは違っているように思われた.だからこの仔の傷は「疥癬症では・・・?」と危惧していた仔である.だとするとこの死骸はやはりチュウ太か・・・.


チュウ太の姉妹狸チョロ子が、最初に連れてきた仔狸(チョロ松チョロ太)である.(後方がチョロ助、右側後がチョロ子)
  いたわるように落ち葉を払い除けている時、頭に必然的に自然の会のリーダー(加納さん)の顔が大きく浮かび上がってきた.

最終的には四匹の仔狸を連れてきた.チョロ子(手前の背中)が全員を紹介している如くに思える.
作業の手を休めて電話を入れた.夕刻加納さんご夫妻がチュウ太の遺骸を引き取りに来られた.これが幾つ目の骨格見本になるのだろう.何らかの形で学術的なお役に立つのであれば、チュウ太の死も無駄死にではなかった.そう思えば精神的に落ち着くものがある.
  帰りがけに「供養しときます」とひと言・・・.ジーン!と胸に染み渡るものを感じた.「俗名・チュウ太です.・・・宜しくお願い致します・・・」と反射的に名前を告げていた.一人前に取り扱い、葬送車を見送っているが如き思いがした.