白鳳城

よべのつき二〇一一
伊賀市のイベントのリーフレットが賑やかだった。
『藤堂高虎築城400年記念祭』のタイトルの下、
イベントが目白押しで、今月は
「今月は仕事をするのやめちゃおうかしら」と思うほど。
もともと秋は楽しい行事がいっぱいなので、
スケジュール帳とにらめっこして予定を組んだ。
さて、いよいよ薪能。
今年は祭にあわせたため
中秋の名月から大きく外れた10月1日(土)の開催となった。
毎年同道の娘は今年高校一年生になり、
もう一緒には行かないかなぁと思ったら、
「ん?行くよぉ♪」
びっくりするほど簡単な答え。
それでは、と防寒の準備も万端にお城へGO!
秋冷のシートベルトの金具かな
水始めて涸る城までの一本道

先に席を確保し、いつののようにお抹茶をいただこうと
思いつつも、いいにおいに誘われて、
ふらふらっと立ったのは桔梗屋折居さんの田楽だんごの前。
桔梗屋さんは友人。娘も学校行事でお世話になっていたりで
ちょっとだけおしゃべりをしてからお団子を購入した。
一見みたらし団子のようだがたっぷりの田楽味噌は
甘辛ほどよく香ばしく美味しかった。
次々と仕上がる団子豊の秋
秋興や女ゐ並ぶ城の磴

呈茶席の緋毛氈に座りお薄をいただく。
洋菓子の勉強をしている娘は菊の花の形の
上生菓子をじっくりと眺め、
和菓子職人見習いの兄に見せるために
写真を撮っていた。

主菓子に淡き影そふ秋の暮



400年記念祭ということで、出かける前に上野城について
ちょっと調べ物を。
『織田信雄(北畠信雄)の家臣である滝川雄利は平楽寺の跡に
砦を築いた。その後1585年(天正13年) に筒井定次によって
改修を受け、1611年(慶長16年)に徳川家康の命を負って
藤堂高虎が拡張したが、大坂の役によって、当時高虎が従属する
徳川家康に対立していた豊臣氏が滅んだため築城が中止され、
本丸・二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて未完成のまま
江戸時代を過ごした。(wiki引用)』
ふむふむ、
『現在、天守台にある3層3階の天守は昭和初期築の
模擬天守で、正式には伊賀文化産業城という。(同引用)』
ふーむー。
藤堂高虎築城400年記念祭の今年、
このお城の現在の姿や「ほんまのこと」はさておき、
お城を作るのが上手できっと大好きだった高虎公や
お城の人々、もしかしたら城下町の人々も
「このあたり」でわいわいやっていたのかな、
と思うとなんだか楽しい。
高虎公の兜の形を思うともっと楽しい。
(もちろん実際は簡単なことではなかったに違いないが。
だがそうしてわいわいしていただいたおかげで
わたしは薪能を楽しむことが出来るのかなぁと。)
だから、正式名称はそれとして、
白鳳城という美しい名をつかいたいと思う。

黄昏、金色の飛行機雲が一筋北の空に見えた。
篝火がともされ、能舞台が浮かび上がる、開演だ。



秋気澄む白鳳城の前庭に
いつまでも沈めずにをりけふの月
繊月のほのと翳りし城の空
舞扇黄金の秋の色目かな
露の夜や鼓のこゑを聴くをとこ
後シテの緋の横顔や秋寒し
秋苑や頬骨高き太郎冠者
前シテの長き語りや星月夜
爽籟や小狐の銘打ち入るる
秋寂ぶやからから落つる篝の火
予想通り寒かった薪能、
隣り合わせたご婦人と「また来年」と挨拶を交わし、
座布団やひざ掛けの入った大きな荷物を抱いて帰った。
また、来年。

旧九月五日の夕月
2011 Photo / 文 / 句: 坂石佳音