豆天狗あらため藍天狗は修行中。そこに紅天狗がやってきて・・・

     

         月の石

     


    藍天狗が糸天狗を手伝っていると紅天狗がやってきて、「すぐに一緒に出かけよう」と

    いうのです。「ここは大丈夫。」と糸天狗がエクボを見せたので、藍天狗は紅天狗を

    追いかけました。


    今日は満月、誰も皆今夜の宴の準備で大忙しなのに、森を抜け、高い高い空へ
    そして突然急降下。
    紅天狗はいつも乱暴なのだから・・・と思いつつ地面に降りると、隠れ蓑を手渡されました。
    それをあわててはおっていると、一軒の家の扉が開き、子供が出てきて、

     

     「まだだよ、まだだよ。」

     

    東の月代に向かってそう言い、あわてて入って行きました。

     

     「今、あの子の『まだ』に答えて何か聞こえたような気がする・・・」

     

    藍天狗がぽつりとつぶやくと、紅天狗が東の空に声をかけました。

     

     「どうですかー?」

     

     「んー、まだだというが、いよいよ今日だ。」

     

    藍天狗は返事の声の主を探しました、すると目の前に、男が降りて来ました、
    東の月代のあたりから。

     

     「やあ、紅天狗。おお、お初にお目にかかりますよ、新しい天狗さん」

     

    その男は降りてくる時はとても若く見えたのですが、今は年老いているように見えます。

     

     「あのぉ・・・どなた?そして、まだって、なに?」

     

    あわててぺこりと挨拶をして、藍天狗は紅天狗にそっと問うと、今は真っ白な髭に長い
    真っ白な髪になった男が、顔を出しつつある月を背に話をはじめました。 


     「むかしむかし、何百年も昔から私は月に住んでいる。あれは百年前のこと、
      私の月が一年で一番美しい日に、どこぞの山でにぎやかな声がすることに気がついた。
      そこで、私は留守を兎らに頼んで、それを確かめに降りてきた。
      ところが、その森まであと少し、というところで落し物をしてしまったのだ。
      この鎖、何もついていないだろう?本当はここに月の雫をこごらせた玉が
      ついていて、それが暗い冷たい月に住む私をいつもなぐさめ、あたためていたのだ。
      月の玉は幸せの玉、それをうっかりここで落としてしまった。

      その日、あの家では小さな赤子の生まれたところで、板間には布団が敷かれ、

      生まれたばかりの子と母が横になっていた。細い細い季節を間違えて芽吹いて

      しまった枝のような手足の子の胸の上に私の月の石がある。手を伸ばしたが遅かった、

      石は子の中に入ってしまった。

     

       「これはいけない、石を取れば子の命までついて出てきてしまう。」

     

      ひとりごちして横を見ると、母親がじっとこちらを見据えていた。
      自分の「いのち」をも差し出しそうな瞳で。

     

      そこで私は約束したのだ、百年預けようと。そのかわり、毎年秋の月の頃には

      私のことを思い出して欲しいと。
      あの母は約束を守り、毎年月の頃には菓子やら花を工面し、月に供えてくれた。
      その子もそして家族が皆、約束を守り続けた。
      ただ、私が気が変わって早々に石を取り返しに来ないように、ああして

      「まだだよ、まだだよ」というのだがね。」

     

    月の男は若者の顔でわははははと笑いましたが、ふと真顔になり、

     

     「しかし、約束は約束。」

     

    と黒々とした髭をむずかしげな顔をしてひねったのでした。

     

     

                    

     

     


    その頃、家の中では先ほど外にいた子が布団に横たわる老翁の横に座っていました。

     

     「さてさて、お月様につたえてくれたか?今日ですよと。」

     

     「・・・・・・」

     

     「いわなかったのかい?」

     

     「・・・・・・」

     

     「それは駄目じゃないか。」

     

     「だって、大じいちゃんが・・・いなくなっちゃうよ。」

     

     「駄目だよ、約束は約束。儂が生まれた日に儂の母さんがお月様と約束したんだ。
      約束は約束。」

     

     「でも、でも、でも、」

     

     「さあさ、お前のお母さんが今日は大変なんだろう?早く行きなさい。」

     

     

                     

     

     

     

    子供が家から駆け出すと、開け放たれた窓から月の光がさしこみ、みるみる壮年の
    男の姿になりました。

     

     「ああ、約束どおりおいでくださったのですね、母から聞いたとおりのお姿だ。」

     

     「うむ、約束どおり、なぁ。」

     

     「先ほどは曾孫が失礼を申し上げました。」

     

    一緒に入ってきた藍天狗は布団の上の老爺と家の中をあちこちキョロキョロと見回し、
    こっそりと隣の紅天狗に耳打ちした。

     

     「ほんとうに『幸福の石』があるの?そんなにお金持ちにも見えないし、そんなに
      すごいおじいさんにもみえないなぁ。」

     

    すると、隠れ蓑で見えないはず、聞こえないはずなのに老爺が藍天狗ににっこりと
    笑いかけました。

     

      「いやいや、儂は本当は死んで生まれた子と皆に思われておりました。だが、
       母はそうは思うておらなかった。祖母も産婆も出て行ったあとも一心に儂の
       からだをこすってこすって、その時にこのお方が降りてこられたのだそうです。
       『お前の命はお月様に授かった』死ぬまで母はそう言い続け、あなたさまに
       感謝しておりました。つつがなく生きて、それも百の齢まで生きて、まして
       いなくなってはいやだと言うてくれる子のおる。これほどの幸せはあるまいて。
       ありがとうございました。さあ、お返し申し上げます。」

     

    月の男は静かに頷くと、横たわる老爺の胸の上に手をかざしました。
    そして、胸の鎖に月の石を下げてその家を出て行きました。

     

     「さっきの子は、泣くのね・・・でも、それもあのおじいさんの幸せのひとつ。」

     

    そうつぶやいて、紅天狗はまたすっかり年老いて肩を落としている月の男の方に

    向き直り、声をかけました。

     

     

     「罰天狗さまから伝言をあずかっております。今年もぜひお寄りください、
      『あれ』をおあがりください、と。」

     

     

     「いや、もうあれは必要なくなった。月の石が戻ってきたのだから。」

     

     

     「いえいえ、もうひとつ伝言が。この家の隠居にてこれからお産があります。もう生
      まれているやもしれません。ところがその子がどうやら・・・・」

     

     「なんと、むむむむ、せっかく戻ってきた月の石ではあるが、赤子の命には
      かえられぬなぁ。百年待った。もう百年ぐらい『すぐ』じゃ。私には『あれ』も
      あることであるしな。行ってこよう、ごめん。」

     

     

    月の男は黒髭の面をあげて、響く、あたたかな声でそう言うとにこりと笑いました。

     

     

     「はい、皆でお待ちしておりますので、ぜひ山にお寄りくださいね。」

     

     

     

    去っていく月の男を見送りつつ、首を傾げる藍天狗に紅天狗は笑った。

     

     「罰天狗さまの十三番目の蔵に猿酒の大壺がぎゅうぎゅう詰まっているでしょう?
      あれはね、お月様へのお供えよ。毎日アリノミやトキジクやわたしがお届け
      していたの知らなかった?」

     

     「なんだ、そうだったの、そうなんだ。それなら寒くなくね、淋しくないね。」

     

     

     

    今夜は晴れ。
    お留守番のうさぎたちが一生懸命磨いた月が一晩中晧晧と照ることでしょう。
    天狗山の森の中はたくさんのお客さまをお迎えして華やぐことでしょう。

     

     「今度、お月様へのおつかいに私も志願しよう。」

     

    そうつぶやいた藍天狗に、

     

     「時々・・・ならね。」

     

    そう言って、ふいに紅天狗は飛び立ちました。

     

     「あ、待ってー」

     

    月の光の中、天狗山に向かいつつ、

     

     「このおつかいはトキジクもアリノミもあまり行かせていただいてないな。」

     

    と、思う藍天狗でした。

     

     

                                                − 月の石 了 −

     

     

     

    2005.Nov  Photo / 文 / 絵: 坂石佳音

     

     

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